マリーア・ルイーザ・ディ・スパーニャ
マリーア・ルイーザ・ディ・スパーニャ Maria Luisa di Spagna | |
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エトルリア王妃 | |
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在位 | 1801年3月21日 - 1803年5月27日 |
出生 |
1782年7月6日 スペイン帝国、ラ・グランハ宮殿 |
死去 |
1824年3月13日(41歳没) 教皇領、ローマ |
埋葬 | スペイン王国、マドリード、エル・エスコリアル修道院 |
配偶者 | エトルリア王ルドヴィーコ1世 |
子女 |
カルロ・ルドヴィーコ マリーア・ルイーザ・カルロッタ |
家名 | スペイン・ブルボン家 |
父親 | スペイン王カルロス4世 |
母親 | マリア・ルイサ・デ・パルマ |
マリーア・ルイーザ・ディ・スパーニャ(Maria Luisa di Spagna, 1782年7月6日 - 1824年3月13日)は、スペイン王カルロス4世と王妃マリーア・ルイサ・デ・パルマの娘。ブルボン=パルマ家当主でエトルリア王となったルドヴィーコ・ディ・ボルボーネと結婚した。マリーア・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=スパーニャ(Maria Luisa di Borbone-Spagna)、マリーア・ルイーザ・ディ・ボルボーネ(Maria Luisa di Borbone)とも。スペイン名はマリーア・ルイサ・デ・ボルボーン・イ・ボルボーン=パルマ(María Luisa de Borbón y Borbón-Parma)。
生涯
[編集]ラ・グランハ宮殿で生まれる。成人した7人の兄弟姉妹のうちの3番目で、弟にスペイン王フェルナンド7世および第一次カルリスタ戦争を起こしたモリナ伯カルロス、姉にポルトガル王妃カルロッタ・ジョアキナ、妹に両シチリア王妃マリーア・イザベッラがいる。
1795年8月25日にマドリードで、従兄のルドヴィーコと結婚した。2人の間には1男1女が生まれた。
- カルロ・ルドヴィーコ(1799年 - 1883年)
- マリーア・ルイーザ・カルロッタ(1802年 - 1857年)
1801年、ルドヴィーコはナポレオン・ボナパルトによって建てられたエトルリア王国の国王に即位し、マリーア・ルイーザも王妃となったが、ルドヴィーコは1803年に早世した。息子カルロ・ルドヴィーコが後を継ぎ、マリーア・ルイーザが摂政となった。ナポレオンが失脚した1815年、パルマ公国はマリア・ルイーザに与えられ、カルロ・ルドヴィーコにはルッカ公国が与えられ、マリーア・ルイーザがルッカ公国の摂政として統治した。
1824年、ローマで死去した。息子カルロはパルマ女公マリア・ルイーザ死後の1847年にパルマ公国を回復した。