マルティーナ・フランカ
マルティーナ・フランカ Martina Franca | |
---|---|
9月20日広場。奥にサント・ステファノ門 | |
行政 | |
国 | イタリア |
州 | プッリャ |
県/大都市 | ターラント |
CAP(郵便番号) | 74015 |
市外局番 | 080 |
ISTATコード | 073013 |
識別コード | E986 |
分離集落 | #分離集落参照 |
隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 |
地震分類 | zona 4 (sismicità molto bassa) |
気候分類 | zona D, 1844 GG |
公式サイト | リンク |
人口 | |
人口 | 48,510 [1] 人 (2019-01-01) |
人口密度 | 164.2 人/km2 |
文化 | |
住民の呼称 | martinesi |
守護聖人 | 聖マルティーノ (San Martino) と Santa Comasia |
祝祭日 | 11月11日 |
地理 | |
座標 | 北緯40度42分 東経17度20分 / 北緯40.700度 東経17.333度座標: 北緯40度42分 東経17度20分 / 北緯40.700度 東経17.333度 |
標高 | 431 (156 - 517) [2] m |
面積 | 295.42 [3] km2 |
ターラント県におけるコムーネの領域 | |
ポータル イタリア |
マルティーナ・フランカ(イタリア語: Martina Franca)は、イタリア共和国プッリャ州ターラント県にある都市で、その周辺地域を含む人口約4万9000人の基礎自治体(コムーネ)。県都ターラントに次ぎ県内第2位の人口を有するコムーネである。
1975年以後毎年開催されているオペラの祭典(ヴァッレ・ディトリア音楽祭、あるいはマルティーナ・フランカ音楽祭)でも知られている。
地理
[編集]位置・広がり
[編集]ターラント県北部に位置するコムーネで、ヴァッレ・ディトリア (Valle d'Itria) に所在する。マルティーナ・フランカの街は、県都ターラントの北北東約26km、ブリンディジの西約51km、州都バーリの南東約60kmに位置する[4]。
コムーネの面積は 295 km2 あまりに及ぶ。これはイタリアのコムーネの中でも広い部類である(全国39位)。
隣接コムーネ
[編集]隣接するコムーネは以下の通り。BAはバーリ県、BRはブリンディジ県所属。
- ロコロトンド (BA) - 北
- チステルニーノ (BR) - 北東
- オストゥーニ (BR) - 東
- チェーリエ・メッサーピカ (BR) - 南東
- ヴィッラ・カステッリ (BR) - 南東
- クリスピアーノ - 南
- グロッターリエ - 南
- マッサフラ - 南西
- モットラ - 西
- アルベロベッロ (BA) - 北西
市街
[編集]市壁に囲まれており、バロック様式の市門を有する旧市街には、多く狭く曲がりくねった道と広場がある。17世紀に建設されたドゥカーレ宮殿 (Palazzo Ducale) に面して、旧市街最大の広場であるピアッツァ・ディ・ローマ (Piazza di Roma) がある。緑地ともなっている。
-
Piazza Plebiscito。左に時計台、右にサン・ステファノ教会
-
サント・ステファノ門 (Porta di Santo Stefano)
-
カルミネ教会
-
ドゥカーレ宮殿広場
-
この地方の伝統的住居であるトゥルッリ
歴史
[編集]中世のマルティーナ・フランカには多くのユダヤ人が暮らしていた。1495年の時点で、人口の3分の1は、ユダヤ人か、キリスト教に改宗したユダヤ人であった。
1495年、市はユダヤ人が来市して居住することを禁じ、ユダヤ人が虐殺を受ける事件が生じている。
行政
[編集]分離集落
[編集]マルティーナ・フランカには以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
- San Paolo, Monte Fellone, Lamia Vecchia, Specchia Tarantina, Ortolini, Carpari, Gemma, Pergolo, Capitolo, Pianelle, Cappuccini, Papadomenico, Nigri, Motolese, Monte Ilario, Baratta, Monti del Duca, Madonna dell'Arco, Ospedale, Montetulio, Infarinata
社会
[編集]産業
[編集]DOCワインである「マルティーナ・フランカ」 (it:Martina Franca (vino)) の産地である。
人口
[編集]人口推移
[編集]人口推移 | ||
---|---|---|
年 | 人口 | ±% |
1861 | 16,767 | — |
1871 | 18,132 | +8.1% |
1881 | 19,355 | +6.7% |
1901 | 25,287 | +30.6% |
1911 | 25,109 | −0.7% |
1921 | 33,624 | +33.9% |
1931 | 38,045 | +13.1% |
1936 | 32,629 | −14.2% |
1951 | 36,018 | +10.4% |
1961 | 37,460 | +4.0% |
1971 | 39,234 | +4.7% |
1981 | 43,086 | +9.8% |
1991 | 45,404 | +5.4% |
2001 | 48,756 | +7.4% |
2011 | 49,009 | +0.5% |
文化・観光
[編集]1975年より、毎年夏にオペラの祭典であるフェスティヴァル・デッラ・ヴァッレ・ディトリア (Festival della Valle d'Itria) (ヴァッレ・ディトリア音楽祭、あるいはマルティナ・フランカ音楽祭とも)が開催されている。
スポーツ
[編集]プロサッカークラブであるASマルティーナ・フランカ1947 (A.S. Martina Franca 1947) のホームタウンである。2013-14シーズンではレガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネ(4部リーグ)に属している。
交通
[編集]鉄道
[編集]地方鉄道であるスド・エスト鉄道が走っており、マルティーナ・フランカ駅 (it:Stazione di Martina Franca) は2つの路線の分岐駅である。鉄道によってバーリ、ターラント、レッチェと結ばれている。
- スド・エスト鉄道
- バーリ=マルティーナ・フランカ=ターラント線 (it:Ferrovia Bari-Martina Franca-Taranto)
- マルティーナ・フランカ=レッチェ線 (it:Ferrovia Martina Franca-Lecce)
人物
[編集]著名な出身者
[編集]- ジュゼッペ・アプリーレ - 18-19世紀のカストラート、音楽教育者
- ジョコンダ・デ・ヴィート - 20世紀のヴァイオリニスト
- コジモ・ダミアーノ・ランツァ(Cosimo Damiano Lanza, 1962年 - )イタリアの現代音楽の作曲家、ピアノ、チェンバロ。
- ドナート・カッリージ - 小説家・脚本家
- レンツォ・ルビーノ - シンガーソングライター
脚注
[編集]- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2019 by sex and marital status” (英語). 2019年9月16日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Taranto (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2014年6月7日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Taranto (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2014年6月7日閲覧。
- ^ “2点間の直線距離を測る”. 2014年6月8日閲覧。
外部リンク
[編集]アルベロベッロ (BA) | ロコロトンド (BA) | チステルニーノ (BR) | ||
モットラ | オストゥーニ (BR) | |||
マルティーナ・フランカ | ||||
マッサフラ | クリスピアーノ、グロッターリエ | チェーリエ・メッサーピカ (BR)、ヴィッラ・カステッリ (BR) |