コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

マーガレット・スクリブン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マーガレット・スクリブン
Margaret Scriven
マーガレット・スクリブン
基本情報
フルネーム Margaret Croft Scriven Vivian
愛称 Peggy(ペギー)
国籍 イギリスの旗 イギリス
出身地 イングランド・リーズ
生年月日 (1912-08-17) 1912年8月17日
没年月日 (2001-01-25) 2001年1月25日(88歳没)
死没地 イングランド・ヘーズルミア
利き手
殿堂入り 2016年
4大大会最高成績・シングルス
全仏 優勝(1933・34)
全英 ベスト8(1931・33・34・37)
優勝回数 2(仏2)
4大大会最高成績・ダブルス
全仏 優勝(1935)
全英 ベスト4(1934)
優勝回数 1(仏1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全仏 優勝(1933)
全英 ベスト8(1937)
優勝回数 1(仏1)

マーガレット・スクリブンMargaret Scriven, 1912年8月17日 - 2001年1月25日)は、イングランドヨークシャー州リーズ出身の女子テニス選手。1930年代に活躍し、1933年1934年の全仏選手権(現在の全仏オープン)で女子シングルス2連覇を達成した選手である。全仏選手権では1933年の混合ダブルスと1935年の女子ダブルスでも優勝し、総計4つのタイトルを獲得した。左利きの選手で、全仏オープン女子シングルスの歴史を通じて最初の左利き優勝者になった。マーガレットは“Peggy”(ペギー)という愛称で呼ばれた。フルネームは Margaret Croft Scriven Vivian (マーガレット・クロフト・スクリブン・ビビアン)という。

来歴

[編集]

スクリブンのテニスは、他のトップ選手に比べると“ぎごちなさ”を感じさせたというが、忍耐強いプレースタイルを持ち味とした。彼女との対戦はスタミナ勝負を強いられ、とりわけ左打ちのフォアハンド・ストロークには、対戦相手にとって“過酷な消耗戦”の印象があったという。

スクリブンは7歳からテニスを始めたが、1929年に17歳でイギリス国内の女子ジュニア・チャンピオンになるまでは、レッスンを受けずに独学でテニスに親しんだ。2年後、1931年ウィンブルドン選手権シモーヌ・マチューフランス)との準々決勝に進出し、初めてのセンター・コートでマチューに 6-1, 2-6, 5-7 の試合を挑んだ。1933年全仏選手権で、スクリブンは女子シングルスと混合ダブルスの2部門で初優勝を飾る。シングルスではノーシードから勝ち上がり、決勝でマチューを 6-2, 4-6, 6-4 で破って優勝した。混合ダブルスでは、スクリブンのパートナーはジャック・クロフォードオーストラリア)であった。全仏2部門制覇の後、ウィンブルドン選手権では2年ぶり2度目の準々決勝でヒルデ・クラーヴィンケルに敗退した。1933年には、キャリアで唯一の全米選手権出場もある。

1934年全仏選手権でスクリブンは第2シードに選ばれ、決勝で第1シードのヘレン・ジェイコブスアメリカ)を 7-5, 4-6, 6-1 で破って2連覇を達成した。同年のウィンブルドンでは、3度目の準々決勝でオーストラリアジョーン・ハーティガンに敗れている。1935年全仏選手権で、スクリブンは準決勝でマチューに 6-8, 1-6 で敗れて女子シングルス3連覇を逃したが、同じイギリスケイ・スタマーズと組んだ女子ダブルスで初優勝した。スクリブンとスタマーズは、2人とも左利き選手どうしのペアを組んだことになる。1937年の準々決勝でリリ・デ・アルバレススペイン)に敗れた試合を最後に、マーガレット・スクリブンは全仏選手権から撤退した。

全仏選手権で4つのタイトルを獲得したスクリブンだが、地元大会のウィンブルドン選手権では4度のベスト8止まりで終わってしまう。最後のチャンスでは、1937年の準々決勝でポーランドヤドヴィガ・イェンジェヨフスカに 1-6, 2-6 のストレートで完敗した。イェンジェヨフスカには、第2次世界大戦開戦直前の1939年にも4回戦敗退を喫している。選手経歴の間に、スクリブンはフランク・ハーベイ・ビビアンと結婚した。

世界大戦の終戦後、スクリブンは1946年1947年のウィンブルドン選手権に出場し、1947年の3回戦でパトリシア・カニング・トッドアメリカ)に 1-6, 3-6 で敗れた試合を最後に選手生活を終えた。その後は夫とともに静かな生活を送り、2001年1月25日にイングランド・サリー州ヘーズルミアにて88歳の長寿を全うした。

マーガレット・スクリブンは2016年に国際テニス殿堂入りを果たした。

全仏選手権の成績

[編集]
  • 女子シングルス:2勝(1933年、1934年) [大会2連覇]
  • 女子ダブルス:1勝(1935年) [パートナー:ケイ・スタマーズ]
  • 混合ダブルス:1勝(1933年) [パートナー:ジャック・クロフォード]

参考文献

[編集]
  • Maurice Brady, “The Encyclopedia of Lawn Tennis” (ローンテニス百科事典) Robert Hale Ltd., London (1958 Ed.) 121ページ 古い本だが、比較的新しい文献よりも詳細な説明がなされている。
  • Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3 彼女の没年月日は、コリンズ百科事典のこの版以後で確認できる。
  • Martin Hedges, “The Concise Dictionary of Tennis” (コンサイス・テニス辞書) Mayflower Books Inc., New York (1978) ISBN 0-8317-1765-3

外部リンク

[編集]