ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル
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名前 | ||||||
本名 | Miguel Ángel Portugal Vicario | |||||
ラテン文字 | Miguel Ángel Portugal | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1955年11月28日(68歳) | |||||
出身地 | ブルゴス | |||||
身長 | 184cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
ブルゴス | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1975-1979 | ブルゴス | 24 | (2) | |||
1977-1978 | → ミランデス (loan) | |||||
1979-1983 | レアル・マドリード | 27 | (1) | |||
1982 | → カディス (loan) | 12 | (1) | |||
1983-1984 | ラージョ・バジェカーノ | 15 | (0) | |||
1984-1985 | カステリョン | 19 | (2) | |||
1985-1987 | レアル・ブルゴス | 68 | (5) | |||
1987-1988 | バリャドリード | 3 | (0) | |||
1988-1991 | コルドバ | 65 | (9) | |||
通算 | 233 | (20) | ||||
代表歴 | ||||||
1979 | スペイン U-23 | 2 | (0) | |||
1979 | スペイン アマチュア | 6 | (3) | |||
監督歴 | ||||||
1996-1997 | アランディナ | |||||
1997 | レアル・マドリードC | |||||
1997-1999 | レアル・マドリードB | |||||
1999 | トレド | |||||
2003-2004 | コルドバ | |||||
2005-2006 | レアル・マドリードB | |||||
2006-2007 | ラシン・サンタンデール | |||||
2009-2011 | ラシン・サンタンデール | |||||
2012-2013 | ボリバル | |||||
2014 | アトレチコ・パラナエンセ | |||||
2015-2016 | バリャドリード | |||||
2016 | CSコンスタンティーヌ | |||||
2017-2018 | デリー・ディナモス | |||||
2018 | グラナダ | |||||
2018 | プネー・シティ | |||||
2018-2019 | ホルヘ・ウィルステルマン | |||||
2020 | ロイヤル・パリ | |||||
2021-2022 | ロイヤル・パリ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル・ビカリオ(Miguel Ángel Portugal Vicario, 1955年11月28日 - )は、スペイン・ブルゴス出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
経歴
[編集]地元のクラブのブルゴスCFの下部組織出身で、1977年にトップチームデビューした。1979年にレアル・マドリードに移籍し、アルフレッド・ディ・ステファノ監督らの下でプレーした。1981年にはUEFAチャンピオンズカップの決勝に進出したが、リヴァプールFCに敗れた。リーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイのタイトルを獲得している。その後はラージョ・バジェカーノやCDカステリョンなどでプレーし、コルドバCFを最後に引退した。
コーチライセンス取得後、3部のヒムナスティカ・アランディナの監督に就任。1998-99シーズンに指揮したレアル・マドリードBでは、チームを2部昇格リーグに導いた。CDトレドの監督を経て、レアル・マドリードの国際部門を担当し、世界各国を駆け巡った。コルドバCFにスポーツ部長として復帰し、2003-04シーズンには監督を務めた。再びレアル・マドリードに戻ると、トップチームのヴァンデルレイ・ルシェンブルゴの辞任によりカスティージャのフアン・ラモン・ロペス・カロがトップチームの監督に就任したため、ポルトゥガルがレアル・マドリード・カスティージャの監督に就任した。2006年7月6日にラシン・サンタンデールの監督に就任[1]。ニコラ・ジギッチやペドロ・ムニティスらの個性を十分に生かしたチームを作り、それまで残留争いの常連だったクラブを10位に躍進させた。2009年11月19日、降格圏近くに低迷していたラシン・サンタンデール監督に復帰[2]。その後の14試合で勝ち点27を挙げ、チーム状態を立て直した。2009-10シーズン後半戦はわずか3勝しか挙げられず、最終節まで残留が決まらなかったが、最終節のスポルティング・ヒホン戦に勝利して16位でシーズンを終えた[3]。2010-11シーズンは開幕から不振にあえぎ、16位と低迷していた2011年2月に解任された[4]。
脚注
[編集]- ^ “El Racing contrata a su nuevo entrenador, Miguel Angel Portugal [Racing hire their new coach, Miguel Angel Portugal]” (スペイン語). ABC. (6 July 2006) 20 May 2013閲覧。
- ^ “El Racing confirma la contratación de Miguel Ángel Portugal” [Racing confirm signing of Miguel Ángel Portugal] (スペイン語). Cadena SER (19 November 2009). 20 May 2013閲覧。
- ^ footballista、2010年4月7日号
- ^ “Racing look to match big boys”. ESPN Soccernet (13 February 2011). 13 February 2011閲覧。
外部リンク
[編集]- ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル - BDFutbolによる個人成績
- ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル - BDFutbolによる監督成績
- ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル - WorldFootball.net