ミス東京コンテスト
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(ミス東京から転送)
ミス東京コンテスト(ミスとうきょうこんてすと)は、都民の日(10月1日)とその前後の期間の「大東京祭」を記念して、1957年(昭和32年)から行われていたミスコンテストである。
同コンテストは東京新聞主催、東京都後援の下行われ、23特別区と伊豆諸島などの島しょ部を含む、東京都内の各市区町村の代表ミスが出場し、その中から、東京都の観光PRや都知事の公式行事のアシスタントなどを務める親善大使となる代表者3名(ミス東京1名、準ミス東京2名)を、都知事や有識者の審査によって決定するというものだった。出場した各市区町村代表は、決戦大会の審査においてそろいの襷(サッシュとも。それぞれに紺色地と銀色の縁取り・文字で「ミス〇〇(市区町村名)」を記載)とドレスをまとって審査を受け、代表ミス東京となった3人にはこれに「ミス東京」と紺色地と金色の縁取り・文字で書かれた襷と、ガウン、ティアラが贈られていた。
外部リンク・資料
[編集]- 中日映画社東京本社製作
- 1970年10月・中日ニュース「'70ミス東京誕生!!」
- 1973年10月・中日ニュース「都民の祭り」
- 1974年10月・中日ニュース「ミス東京決まる」(のちにフリーアナウンサー・ジャーナリストの草柳文恵が受賞した)
- 1975年10月・中日ニュース「ミス東京コンテスト」
- 1977年10月・中日ニュース「ミス東京決まる」
- 1978年10月・中日ニュース「'78ミス東京決まる -第22回ミス東京コンテスト決選大会-」
- 1979年10月・中日ニュース「'79ミス東京決まる」
- 1981年10月・中日ニュース「首都の花決まる -第25回ミス東京コンテスト-」(のちにNHK契約アナウンサーからフリーアナウンサー・朗読家となる平野啓子が受賞した)
- 1982年10月・中日ニュース「首都の花決まる -第26回ミス東京コンテスト-」(ここまではモノクロ作品)
- 1983年10月・中日ニュース「ミス東京コンテスト」(以下カラー作品)
- 1986年10月・中日ニュース「ミス東京決まる」
- 1989年10月・中日ニュース「下重さんに栄冠 -ミス東京コンテスト-」
- その他
- 私が準ミス東京になれた理由✨(だいぶ昔の話)(澤木麻弥オフィシャルブログ)