1976年モントリオールオリンピックのバスケットボール競技・男子日本選手団
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1976年モントリオールオリンピックのバスケットボール競技・男子日本選手団(―だんしにほんせんしゅだん)は、1976年モントリオールオリンピック男子バスケットボール競技に出場したバスケットボール男子日本代表である。
前回のミュンヘンオリンピックでは14位という不本意な成績に終わった日本男子。監督には前回大会のコーチだった吉田正彦が就任。このモントリオール大会の予選を兼ねた1975年アジア選手権では準優勝だったものの、優勝した中国が当時IOCに加盟していなかったため2大会連続での出場を果たし雪辱を期待された。
しかし、グループゲームラウンドでは1勝もできず、特にソ連戦では63-129の大惨敗を喫した。準決勝ラウンドでもプエルトリコに敗れ12ヶ国中11位と全く振るわなかった。(11位決定戦はエジプトが途中帰国したため不戦勝)
この大会を最後に日本男子はオリンピックから2020年東京大会まで遠ざかっており、世界レベルの大会への出場も1998年世界選手権まで22年待たなければならなくなった。
スタッフ
[編集]選手
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No. | 氏名 | P | 身長/体重 | 生年月日 | 所属 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
4 | 阿部成章 | / | 1947/09/22 | 日本鉱業 | ミュンヘン五輪代表 | |
5 | 千種信雄 | / | 1945/10/20 | 住友金属 | ミュンヘン五輪代表 | |
6 | 森哲 | / | 1949/05/10 | 住友金属 | ミュンヘン五輪代表 | |
7 | 結城昭二 | / | 1950/04/27 | 住友金属 | ||
8 | 藤本裕 | / | 1950/12/21 | 日本鋼管 | ||
9 | 沼田宏文 | / | 1952/08/15 | 松下電器 | ミュンヘン五輪代表 | |
10 | 桑田健秀 | / | 1953/01/03 | 日本鋼管 | ||
11 | 山本浩二 | / | 1952/07/28 | 日本鋼管 | ||
12 | 清水茂人 | / | 1953/01/04 | 日本鋼管 | ||
13 | 斎藤文夫 | / | 1953/08/22 | 中央大学 | ||
14 | 北原憲彦 | / | 1954/12/11 | 明治大学 | ||
15 | 浜口秀樹 | / | 1956/01/04 | 拓殖大学 |
成績
[編集]Aグループ
[編集]準決勝ラウンド
[編集]最終順位
[編集]順位 | 国・地域 |
---|---|
1位 | アメリカ合衆国 |
2位 | ユーゴスラビア |
3位 | ソビエト連邦 |
4位 | カナダ |
5位 | イタリア |
6位 | チェコスロバキア |
7位 | キューバ |
8位 | オーストラリア |
9位 | プエルトリコ |
10位 | メキシコ |
11位 | 日本 |
12位 | エジプト |