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ユーグ2世 (ブルゴーニュ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユーグ2世
Hugues II
ブルゴーニュ公
ユーグ2世のシール
在位 1103年 - 1143年

出生 1084年
死去 1143年2月6日
配偶者 マティルド・ド・マイエンヌ
子女 一覧参照
家名 ブルゴーニュ家
父親 ブルゴーニュ公ウード1世
母親 シビーユ・ド・ブルゴーニュ
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ユーグ2世のシール

ユーグ2世フランス語Hugues II, 1084年 - 1143年2月6日頃)は、ブルゴーニュ公(在位:1103年 - 1143年)。ウード1世の息子[1]。1103年に父の死去によって公位を嗣いだ。ユーグはサン・ベニーニュ修道院の管理人(Custos, クーストース)となり、この職は12世紀末までユーグの子孫が継承した[2]

子女

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1115年頃、ユーグ2世はマイエンヌ伯ゴーティエとアデリーナ・ド・プレルの娘マティルドと結婚し[3]、以下の子女を儲けた。

  • アンジェリーヌ(エジェリーヌ)(1116年 - 1167年以降) - ヴォーデモン伯ユーグ1世と結婚
  • クレマンス(1117年 - ?) - エルヴェ3世・ド・ドンジー(スミュール家)と結婚[1]
  • ウード(1118年 - 1162年) - ブルゴーニュ公
  • ゴーティエ(1120年 - 1180年) - ブザンソン大司教
  • ユーグ(「ルーフス」)(1121年 - 1171年) - ナヴィリー領主、イザベル・ド・シャロンと結婚[1]
  • ロベール(1122年 - 1140年) - オータン司教[1]
  • アンリ(1124年 - 1170年) - フラヴィニー領主、オータン司教[1]
  • レーモン(1125年 - 1156年) - グリニョンおよびモンパンシエ領主、アニェス・ド・モンパンシエと結婚し[1]、1女マティルドが生まれた。
  • シビーユ(1126年 - 1150年) - シチリアルッジェーロ2世と結婚[4]
  • ドゥース(1128年 - ?) - レーモン・ド・グランセと結婚
  • マティルド(1130年 - 1159年) - モンペリエ領主ギレム7世と結婚[1]
  • アランブルジュ(1132年 - ?) - 修道女[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h Bouchard 1987, p. 256.
  2. ^ Bouchard 1987, p. 129.
  3. ^ Power 2004, p. 508.
  4. ^ Houben 2002, p. 96.

参考文献

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  • Bouchard, Constance Brittain (1987). Sword, Miter, and Cloister: Nobility and the Church in Burgundy, 980–1198. Cornell University Press 
  • Houben, Hubert (2002). Roger II of Sicily: A Ruler Between East and West. Cambridge University Press 
  • Power, Daniel (2004). The Norman Frontier in the Twelfth and Early Thirteenth Centuries. Cambridge University Press 
  • Richard, J. (1958). “Sur les alliances familiales de ducs de Bourgogne aux XIIe et XIIIe siècles”. Annales de Bourgogne 30: 37-46, 232. 
先代
ウード1世
ブルゴーニュ公
1103年 - 1143年
次代
ウード2世