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ユースタス・セシル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ユースタス・ブラウンロー・ヘンリー・ガスコイン=セシル卿(英語: Lord Eustace Brownlow Henry Gascoyne-Cecil1834年4月24日1921年7月3日)、通称ユースタス・セシル卿(Lord Eustace Cecil)は、イギリスの政治家。イギリスの首相第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルの弟であり、兵站測量総監英語版(1874年 – 1880年)、庶民院議員(1865年 – 1885年)を務めた[1]

生涯

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第2代ソールズベリー侯爵ジェイムズ・ガスコイン=セシルと1人目の妻フランシス・メアリー(Frances Mary、1839年10月15日没、バンバー・ガスコインの娘)の四男として、1834年4月24日に生まれた[1]

1851年11月21日、第43歩兵連隊英語版エンサイン英語版(歩兵少尉)への辞令を購入した[2]。1854年1月13日、中尉への辞令を購入して昇進した[3]。同年6月30日、第88歩兵連隊に転じた[4]。同年12月26日、大尉(Lieutenant and Captain)に昇進した[5]。1855年から1856年にかけてクリミア戦争に参戦した[1]。1861年7月2日、中佐(Captain and Lieutenant-Colonel)への辞令を購入して昇進した[6]。1863年7月、軍務から引退した[7]

ドーセットエセックスミドルセックス州の治安判事を務めた[1]

政界では保守党に属し、1865年イギリス総選挙で2人区サウス・エセックス選挙区英語版から出馬して、2,710票(2位)を得て当選した[8]1868年イギリス総選挙で2人区ウェスト・エセックス選挙区英語版に鞍替えして無投票で当選、1874年イギリス総選挙でも無投票で再選したのち、1880年イギリス総選挙で2,397票(2位)を得て再選した[9]。1874年から1880年まで兵站測量総監英語版を務めた[1]

セント・アルドヘルム教会英語版、1992年撮影。

1874年にライチェット・ヒース英語版の土地を購入し、1875年に邸宅ライチェット・ヒース・ハウス(Lytchett Heath House)を建てたのち[10]、1898年に建築家ジョージ・クリックメイ(George Crickmay)を招聘してセント・アルドヘルム教会英語版を建てた[11]

1921年7月3日に死去した[1]

著作

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  • Cecil, Lord Eustace (1871). Speeches on Army Reform, by G. O. Trevelyan, Esq., M.P., Examined and Considered (英語). London: Edward Stanford.

家族

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1860年9月18日、ガートルード・ルイーザ・スコット(Gertrude Louisa Scott、1919年4月30日没、第2代エルドン伯爵ジョン・スコット英語版と妻ルイーザ英語版の四女)と結婚、2男1女をもうけた[12]

  • イヴリン(1865年5月30日 – 1941年4月1日) - 初代ロックリー男爵[13][14]
  • アルジャーノン(1879年1月31日 – 1953年4月13日) - 1923年7月17日、グウェンドリン・ファニー・ゴドルフィン・オズボーン(Gwendolen Fanny Godolphin Osborne、1933年2月25日没、第10代リーズ公爵ジョージ・オズボーンの娘)と結婚、子供なし[12]
  • ブランシュ・ルイーザ(1872年4月2日 – 1945年1月21日) - 生涯未婚[12]

出典

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  1. ^ a b c d e f Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 2090.
  2. ^ "No. 21265". The London Gazette (英語). 21 November 1851. p. 3074.
  3. ^ "No. 21511". The London Gazette (英語). 13 January 1854. p. 111.
  4. ^ "No. 21567". The London Gazette (英語). 30 June 1854. p. 2037.
  5. ^ "No. 21644". The London Gazette (英語). 26 December 1854. p. 4222.
  6. ^ "No. 22525". The London Gazette (英語). 2 July 1861. p. 2738.
  7. ^ "No. 22757". The London Gazette (英語). 28 July 1863. p. 3781.
  8. ^ Craig, F. W. S., ed. (1977). British Parliamentary Election Results 1832-1885 (e-book) (英語) (1st ed.). London: Macmillan Press. p. 387. ISBN 978-1-349-02349-3
  9. ^ Craig, F. W. S., ed. (1977). British Parliamentary Election Results 1832-1885 (e-book) (英語) (1st ed.). London: Macmillan Press. p. 388. ISBN 978-1-349-02349-3
  10. ^ "Death of Lord Eustace Cecil". The Western Gazette (英語). 8 July 1921. British Newspaper Archiveより2019年11月3日閲覧
  11. ^ Historic England (29 August 1984). "Saint Aldhelm's Church (Grade II*) (1120333)". National Heritage List for England (英語). 2024年3月12日閲覧
  12. ^ a b c Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2155.
  13. ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1940). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Peers created 1901 to 1938) (英語). Vol. 13 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 532.
  14. ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 719. ISBN 978-0-7509-0154-3

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
トマス・ウィリアム・ブラムストン英語版
ジョン・ペリー=ワトリントン英語版
庶民院議員(サウス・エセックス選挙区英語版選出)
1865年1868年
同職:ヘンリー・セルウィン=イベットソン英語版
次代
リチャード・ウィンフィールド=ベイカー英語版
アンドルー・ジョンストン英語版
新設選挙区 庶民院議員(ウェスト・エセックス選挙区英語版選出)
1868年1885年
同職:サー・ヘンリー・セルウィン=イベットソン準男爵英語版
選挙区分割
軍職
先代
ヘンリー・ナイト・ストークス英語版
兵站測量総監英語版
1874年 – 1880年
次代
ジョン・ミラー・エイディー英語版