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ラドロア級駆逐艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラドロア級から転送)
ラドロア級駆逐艦

竣工時の「ラドロア」
艦級概観
艦種 駆逐艦
艦名
前級 ブーラスク級
次級 ル・アルディ級
性能諸元
排水量 基準: 1,378トン
満載:2,000トン
全長 107.2m
水線長 100.9m
全幅 9.84m
吃水 4.3m
機関 ド・テンム式重油専焼水管缶3基
+ゾエリィ式ギヤード・タービン2基2軸推進
最大出力 34,000hp
最大速力 33.0ノット
航続距離 14ノット/2,150海里
燃料 重油:340トン
乗員 142名
兵装 Model 1924 13cm(40口径)単装速射砲4基
Model 1924 7.5cm(50口径)単装高角砲1基
8mm単装機銃2丁
55cm三連装魚雷発射管2基
爆雷32発

ラドロア級駆逐艦(ラドロアきゅうくちくかん)は、第二次世界大戦前にフランス海軍が建造した駆逐艦の艦級。フランス海軍における類別は艦隊水雷艇(Torpilleurs d'escadre)である。

概要

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フランス海軍による新艦隊計画に基づき、ブーラスク級の改良型として1924年度海軍計画で6隻、1925年度海軍計画で4隻、1926年度海軍計画で4隻の計14隻が建造されたクラスである。

艦形

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船体は短船首楼型船体であった。クリッパー型艦首から乾舷の高い艦首甲板上に13cm速射砲を防盾の付いた単装砲架で背負い式に2基を配置、2番主砲の基部から上部構造物が始まり、その上に測距儀を載せた箱型の艦橋の両脇に船橋(ブリッジ)を設けた。艦橋と簡素な三脚式の前部マストが立った所で船首楼は終了し、甲板一段分下がって3本煙突が立つ。その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷1基ずつ計2基で運用された。3番煙突の後部に船体中央部に55cm三連装魚雷発射管が直列に2基が配置された。後部甲板上に後部マストが立ち、その背後に13cm主砲が後ろ向きに背負い式で2基配置された。

武装

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主砲、その他の備砲・雷装等

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主砲は「1924年型 13cm(40口径)速射砲」を採用している。その性能は重量34.85kgの砲弾を最大仰角35度で18,700mまで届かせられ、射程10,000mで装甲80mmを貫通することが出来るこの砲を単装砲で4基を搭載した。砲架の俯仰能力は仰角35度・俯角10度である。さらに旋回角度は左右150度の旋回角度を持っていた。砲の旋回、砲身の上下・砲弾の装填の動力は人力を必要とした。発射速度は毎分6発である。

他に対空火器として「1924年型 7.5cm(50口径)高角砲」を採用している。その性能は重量5.93kgの砲弾を仰角40度で射程14,100m、最大仰角90度で高度8,000mまで届かせられるこの砲を単装砲で1基を搭載した。砲架の俯仰能力は仰角90度・俯角10度である。さらに旋回角度は300の旋回角度を持っていた。砲の旋回、砲身の上下・砲弾の装填の動力は人力を必要とした。発射速度は毎分15発である。他に8mm機銃2丁を装備した。対艦攻撃用に55cm魚雷発射管を三連装で2基を搭載した。

就役後の1930年代に順次、対空火器の7.5cm高角砲と8mm機銃を撤去してを新型の物に更新した。 「オチキス 3.7cm(50口径)機関砲」を連装砲架で2基と「オチキス 13.2mm(76口径)重機関銃」を連装砲架で2基搭載した。

機関

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ボイラーはド・テンム式高温水管缶3基とギヤード・タービンで2基2軸推進の組み合わせであったが、推進機関は性能比較のため各艦で異なっていた。「ラドロア」、「ラルション」、「フロンデル」はゾェリィ式、「フグー」のみラテュ式でその他はパーソンズ式であった。常用出力は34,000馬力で速力33.0ノットで、14ノットで2,150海里を航行できるとされた。

同型艦

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A C de France社ダンケルク造船所で1925年5月起工、1927年4月に進水、1929年7月に竣工。1940年5月25日にダンケルク撤退時にドイツ空軍空爆により撃沈。
F C de la ジロンド社ボルドー造船所で1925年2月起工、1926年6月26日に進水、1929年7月に竣工。1942年自由フランス海軍に所属後、1952年6月に除籍後、解体処分。
A C Dubigeon社ナント造船所で1925年5月起工、1926年6月30日に進水、1928年2月に竣工。1942年11月27日に自沈後、1943年12月に浮揚されて解体処分。
CNF社カーン造船所で1925年7月起工、1926年8月28日に進水、1928年1月に竣工。1942年11月27日に自沈、1944年に浮揚されて5月に解体処分。
A C Dubigeon社ナントナント造船所で1925年7月起工、1926年9月9日に進水、1928年2月に竣工。1940年3月24日にカサブランカにて魚雷の爆発事故により喪失。
CNF社カーン造船所で1925年9月起工、1926年11月15日に進水、1928年7月に竣工。1942年自由フランス海軍に所属後、1950年8月に除籍後、解体処分。
Dyle et Baccalan社ボルドー造船所で1925年5月起工、1927年5月18日に進水、1928年6月に竣工。1942年11月8日にトーチ作戦時に連合軍と交戦して戦没。
F C de la ジロンド社ボルドー造船所で1926年11月起工、1928年5月23日に進水、1930年4月に竣工。1942年11月27日に自沈後、解体処分。
CNF社カーン造船所で1926年5月起工、1927年6月1日に進水、1928年6月に竣工。1942年11月27日に自沈。
F C de la Méditerranée社ル・アーヴル造船所で1927年6月起工、1928年7月17日に進水、1930年5月に竣工。1942年自由フランス海軍に所属後、1952年11月に除籍後、解体処分。
A C deブルターニュ社ナント造船所で1927年9月起工、1928年8月4日進水、1930年6月竣工。1942年11月8日にトーチ作戦時に連合軍と交戦して戦没。
ディル・エ・バシアン社ボルドー造船所で1927年7月起工、1929年4月24日進水、1930年10月竣工。1940年6月1日にダンケルク撤退時にドイツ空軍空爆により撃沈。
ラ・セーヌ=マリタイム造船所で1926年9月起工、1929年5月25日進水、1931年3月竣工。1943年に自由フランス海軍に所属。1952年12月に除籍後、解体処分。
CNF社カーン造船所で1927年11月起工、1929年6月20日に進水、1931年10月に竣工。1942年11月8日にトーチ作戦時に連合軍と交戦して戦没。

関連項目

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参考図書

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  • 世界の艦船 増刊第17集 第2次大戦のフランス軍艦」(海人社
  • 「Conway All The World's Fightingships 1922-1946」(Conway)