ラヴァト卿
ラヴァト卿 (英語: Lord Lovat, スコットランド・ゲール語: Mac Shimidh)は、スコットランド貴族のロード・オブ・パーラメント。ラヴァトのフレイザー氏族の族長フレイザー家によって世襲されている。
歴史
[編集]ラヴァトのフレイザー氏族の族長(Chief)ヒュー・フレイザー(生年不詳-1460年頃)が、1457年から1464年にかけてスコットランド貴族爵位ラヴァト卿(Lord Lovat)に叙せられたのに始まる[1][2]。
9代卿ヒュー・フレイザー(Hugh Fraser, 1666年–1696年)まで直系の継承が続いたが、9代卿が死去した時、9代卿には女子しか残っていなかった。7代卿ヒュー・フレイザー(Hugh Fraser, 生年不詳-1646年)の四男にあたるトマス・フレイザー(Thomas Fraser, 1636年–1699年)とその息子サイモン・フレイザー(Simon Fraser, 1667年頃–1747年)は、自分たちがラヴァト卿の継承者であると申し立て、9代卿の未亡人アメリア・マリー(Amelia Murray,1666年-1743年)と訴訟で争った(彼女は自分の娘アメリア・フレイザーが継承者だと主張した)。裁判所は1702年12月2日にラヴァト卿位を女性の継承が可能な爵位としてアメリア・フレイザーがラヴァト卿位とその財産の継承者であると判決したが、1730年7月3日には男系男子に限定される爵位として、トマス・フレイザーが10代ラヴァト卿、サイモン・フレイザーが第11代ラヴァト卿であるとする逆転判決を出している[1]。
11代卿に認定されたサイモン・フレイザーは陰謀家として著名でしばしばジャコバイトと接触し[3]、1740年3月14日には大僭称者ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアートからジャコバイト貴族としてスコットランド貴族「フレイザー公爵(Duke of Fraser)」「ボーフォート侯爵(Marquess of Beaufort)」「ストラセリック伯爵(Earl of Stratherrick)」「エアード=ストラスグラス子爵(Viscount of the Aird and Strathglass)」「ラヴァト=ボーリュー卿(Lord Lovat and Beaulieu)」に叙せられている[1][4]。1745年のジャコバイト蜂起に関与し、1747年の貴族院の判決により大逆罪で有罪判決を受け、処刑されている。爵位と所有地も剥奪され、その後100年以上ラヴァト卿位は消滅することになった[1]。
4代ラヴァト卿の次男トマス・フレイザー(Thomas Fraser, 1545年-1612年)の雲孫(8代後の子孫)であるトマス・アレグザンダー・フレイザーは、1825年にラヴァト卿位の復元を請求した。1837年1月28日には新規の爵位として連合王国貴族インヴァーネス州におけるラヴァトのラヴァト男爵(Baron Lovat, of Lovat in the County of Inverness)に叙せられ、ついで1854年7月10日の議会法でラヴァト卿の回復が認められた[1][5]。
以降2017年現在まで彼の直系によって継承され続けている。2017年現在の当主はサイモン・クリストファー・ジョゼフ・フレイザー(1977-)である[1]。本邸はインヴァネスシャー・ビューリーにあるボーフォート・ロッジ(Beaufort Lodge)とバルブレア・ハウス(Balblair House)である。紋章に刻まれるモットーは「用意はできている(Je Suis Prest)」[1]。
ラヴァト卿(1457年頃)とラヴァト男爵(1837年)
[編集]- 初代ラヴァト卿ヒュー・フレイザー (Hugh Fraser, 生年不詳-1460年頃)
- 2代ラヴァト卿トマス・フレイザー (Thomas Fraser, 生年不詳-1524年) - 先代の息子
- 3代ラヴァト卿ヒュー・フレイザー (Hugh Fraser, 生年不詳-1544年) - 先代の息子
- 4代ラヴァト卿アレグザンダー・フレイザー (Alexander Fraser, 生年不詳-1558年) - 先代の息子
- 5代ラヴァト卿ヒュー・フレイザー (Hugh Fraser, 1544年–1577年) - 先代の息子
- 6代ラヴァト卿サイモン・フレイザー (Simon Fraser, 1572年頃–1633年) - 先代の息子
- 7代ラヴァト卿ヒュー・フレイザー (Hugh Fraser, 生年不詳-1646年) - 先代の息子
- 8代ラヴァト卿ヒュー・フレイザー (Hugh Fraser, 1643年–1672年) - 先代の孫
- 9代ラヴァト卿ヒュー・フレイザー (Hugh Fraser, 1666年–1696年) - 先代の息子
- 10代ラヴァト卿(デ・ジュリ)トマス・フレイザー (Thomas Fraser, 1636年–1699年) - 7代伯の四男
- 11代ラヴァト卿サイモン・フレイザー (Simon Fraser, 1667年頃–1747年) - 先代の息子。1746年にラヴァト卿位剥奪
- 12代ラヴァト卿/初代ラヴァト男爵トマス・アレグザンダー・フレイザー (Thomas Alexander Fraser, 1802年–1875年) - 4代卿の次男の雲孫。1837年にラヴァト男爵位創設。1854年にラヴァト卿位回復
- 13代ラヴァト卿/2代ラヴァト男爵サイモン・フレイザー (Simon Fraser, 1828年–1887年) - 先代の息子
- 14代ラヴァト卿/3代ラヴァト男爵サイモン・ジョゼフ・フレイザー (Simon Joseph Fraser, 1871年–1933年) - 先代の息子
- 15代ラヴァト卿/4代ラヴァト男爵サイモン・クリストファー・ジョゼフ・フレイザー (Simon Christopher Joseph Fraser, 1911年–1995年) - 先代の息子
- 16代ラヴァト卿/5代ラヴァト男爵サイモン・クリストファー・ジョゼフ・フレイザー (Simon Christopher Joseph Fraser, 1977年-) - 先代の孫
- 推定相続人は現当主の弟マスター・オブ・ラヴァト(儀礼称号)ジャック・フレイザー(Jack Fraser, 1984年-)
家系図
[編集]アンドリュー・フレイザー (生没年不詳) | |||||||||||||||||||||
アレグザンダー・フレイザー (生年不詳-1332年) | サイモン・フレイザー (生年不詳-1333年) | ||||||||||||||||||||
ソルトーン卿フレイザー家へ | |||||||||||||||||||||
アレグザンダー・フレイザー (生没年不詳) | |||||||||||||||||||||
ヒュー・フレイザー (生年不詳-1409年頃) | |||||||||||||||||||||
ヒュー・フレイザー (1376年頃-1440年) | |||||||||||||||||||||
ヒュー・フレイザー (1417年頃-1450年頃) | |||||||||||||||||||||
1457年頃ラヴァト卿 | |||||||||||||||||||||
初代ラヴァト卿 ヒュー・フレイザー (生年不詳-1460年頃) | |||||||||||||||||||||
2代ラヴァト卿 トマス・フレイザー (生年不詳-1524年) | |||||||||||||||||||||
3代ラヴァト卿 ヒュー・フレイザー (生年不詳-1544年) | |||||||||||||||||||||
4代ラヴァト卿 アレグザンダー・フレイザー (生年不詳-1558年) | |||||||||||||||||||||
5代ラヴァト卿 ヒュー・フレイザー (1544年-1577年) | トマス・フレイザー (1545年-1612年) | ||||||||||||||||||||
6代ラヴァト卿 サイモン・フレイザー (1572年頃-1633年) | トマス・フレイザー (生年不詳-1645年) | ||||||||||||||||||||
7代ラヴァト卿 ヒュー・フレイザー (生年不詳-1646年) | トマス・フレイザー (生年不詳-1656年) | ||||||||||||||||||||
ヒュー・フレイザー (1624年-1643年) | 10代ラヴァト卿(デ・ジュリ) トマス・フレイザー (1636年-1699年) | トマス・フレイザー (生年不詳-1685年) | |||||||||||||||||||
8代ラヴァト卿 ヒュー・フレイザー (1643年-1672年) | 11代ラヴァト卿 サイモン・フレイザー (1667年頃-1747年) | アレグザンダー・フレイザー (生年不詳-1699年) | |||||||||||||||||||
ラヴァト卿剥奪 | |||||||||||||||||||||
9代ラヴァト卿 ヒュー・フレイザー (1666年-1696年) | アレグザンダー・フレイザー (生没年不詳) | ||||||||||||||||||||
アレグザンダー・フレイザー (生年不詳-1794年) | |||||||||||||||||||||
アレグザンダー・フレイザー (生年不詳-1803年) | |||||||||||||||||||||
1837年ラヴァト男爵 1854年ラヴァト卿回復 | |||||||||||||||||||||
12代ラヴァト卿 初代ラヴァト男爵 トマス・フレイザー (1802年-1875年) | |||||||||||||||||||||
13代ラヴァト卿 2代ラヴァト男爵 サイモン・フレイザー (1828年-1887年) | |||||||||||||||||||||
14代ラヴァト卿 3代ラヴァト男爵 サイモン・フレイザー (1871年-1933年) | |||||||||||||||||||||
15代ラヴァト卿 4代ラヴァト男爵 サイモン・フレイザー (1911年-1995年) | |||||||||||||||||||||
マスター・オブ・ラヴァト サイモン・フレイザー (1939年-1994年) | |||||||||||||||||||||
16代ラヴァト卿 5代ラヴァト男爵 サイモン・フレイザー (1977年-) | |||||||||||||||||||||
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Lovat, Lord (S, 1457/64)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年11月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. "Hugh Fraser, 1st Lord (Fraser of) Lovat". thepeerage.com (英語). 2017年12月2日閲覧。
- ^ 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 267.
- ^ Lundy, Darryl. "Simon Fraser, 11th Lord (Fraser of) Lovat". thepeerage.com (英語). 2017年12月2日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. "Thomas Alexander Fraser, 12th Lord (Fraser of) Lovat". thepeerage.com (英語). 2017年12月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。