ワシントン・タイムズ=ヘラルド
種別 | 日刊紙 |
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判型 | ブランケット判 |
設立 | ワシントン・タイムズ: (1894-1939) ワシントン・ヘラルド: (1906-1939) ワシントン・タイムズ=ヘラルド: (1939-1954) |
政治的傾向 | 保守主義 |
廃刊 | 1954年 |
本社所在地 | ワシントンD.C. |
『ワシントン・タイムズ=ヘラルド』(Washington Times-Herald)は、かつてアメリカ合衆国のワシントンD.C.で発行されていた日刊紙である。メディル=マクコーミック=パターソン家[注釈 1]のエレノア・"シシー"・パターソンがウィリアム・ランドルフ・ハーストから『ワシントン・タイムズ』と『ワシントン・ヘラルド』を買い取り、両紙を合併させて創刊した。これにより、朝から晩まで1日10回発行される「24時間新聞」が誕生した[1]。
歴史
[編集]前身となる『ワシントン・タイムズ』紙[注釈 2]は、インディアナ州エルクハートの下院議員チャールズ・G・コンが1894年に創刊し、スティルソン・ハッチンス(『ワシントン・ポスト』の創刊者)が初代発行人を務めた。その後、フランク・A・マンジーに買収された。マンジーは大規模な新聞配信会社を経営しており、「日刊紙のディーラー」「ジャーナリズムのアンダーテイカー」と呼ばれていた[2]。その5年後、マンジーは1906年に創刊された『ワシントン・ヘラルド』を買収した。
1917年、ウィリアム・ランドルフ・ハーストがタイムズ紙を買収した。ハーストは1922年にヘラルド紙も買収した。
『シカゴ・トリビューン』のロバート・マコーミックのいとこであり、『デイリーニュース』のジョセフ・メディル・パターソンの妹であるシシー・パターソンは、1930年から両紙の編集者を務め、1937年にハーストから両紙を借り受けた。1939年、ハーストがカリフォルニア州サン・シミオンに建設したハースト・キャッスルのコストが上昇して倒産寸前になったことと、1933年に倒産した『ワシントン・ポスト』を競売で購入したユージン・メイヤーとフィル・グラハムが両紙を買収しようとしていたことから、パターソンは両紙を完全に買収した。パターソンは、両紙を合併して『ワシントン・タイムズ=ヘラルド』とし、1948年に亡くなるまで経営した。
シシー・パターソンのいとこのマコーミックは、パターソンが1948年に死去した後にこの新聞を買収した[3]。この新聞は、センセーショナルな内容で知られる「孤立主義的で保守的な」新聞となった[4][5]。1949年、マコーミックは姪のルース・"バジー"・マコーミック・ミラーを発行人に任命した[6]。しかし、ミラーと編集者の一人であるガービン・タンカズリーとの関係や、編集権をめぐって二人の間に亀裂が生じ、マコーミックはミラーにタンカズリーと新聞社のどちらかを選ぶように命じた。その結果、ミラーはタンカズリーと駆け落ちして、タイムズ=ヘラルド紙を辞めてしまった。後に彼女は、「タイムズ=ヘラルドに行ったとき、私は全権を握ることになるものと思っていました。しかし、支配権は私には与えられませんでした。私たちの政治的信条には違いがあります。私は共和党よりの(マコーミックよりも)広い視点を持っています」と語った[4]。
マコーミックはこの新聞を自分で経営しようとしたが、損失を出し、1954年に『ワシントン・ポスト』に売却した[3][5]。売却を発表したとき、同紙の役員がミラー(当時はバジー・タンカズリー)にも買収の機会を与えるように主張した。マコーミックは48時間の猶予を設け、タンカズリーに1千万ドルでの買収を提示したが、タンカズリーは期限内に資金を調達できなかった。1954年3月、タイムズ=ヘラルド紙はポスト紙のオーナーであるフィル・グラハムに買収された[7]。しばらくの間、統合後の新聞は『ワシントン・ポスト・アンド・タイムズ=ヘラルド』を正式名称としていたが、「・アンド・タイムズ=ヘラルド」の文字が段々小さくなり、1973年に完全に消滅した。
著名な編集スタッフ
[編集]1951年、大学卒業後のジャクリーン・リー・ブーヴィエ(後のジョン・F・ケネディの妻ジャクリーン・ケネディ)が記者として入社し、同僚が主催したパーティーの場で、当時下院議員だったジョン・F・ケネディと出会っている。
また、ジョン・F・ケネディの妹のキャスリーン・ケネディも1941年にリサーチ・アシスタントとして入社し、その後、コラムを寄稿するようになった。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『シカゴ・トリビューン』、『ニューヨーク・デイリーニューズ』のオーナーであり、後にニューヨーク州ロングアイランドで『ニューズデイ』を創刊した
- ^ 現存する同名の新聞とは無関係。
脚注
[編集]- ^ Martin, Ralph G. Cissy. Simon and Schuster, 1979. ISBN 9780671225575.
- ^ “About The Washington times. (Washington [D.C.) 1902–1939]”. National Endowment for the Humanities. 22 February 2012閲覧。
- ^ a b Warren, James (March 27, 2005). “A Complicated Person”. Chicago Tribune. April 25, 2013閲覧。
- ^ a b Bernstein, Adam (February 6, 2013). “Ruth Tankersley, Tribune scion, D.C. publisher and Arabian horse breeder, dies”. Washington Post. March 25, 2013閲覧。
- ^ a b “The Press: Sale of the Times-Herald”. Time. (March 29, 1954). オリジナルのNovember 16, 2010時点におけるアーカイブ。 March 25, 2013閲覧。
- ^ “Ruth 'Bazy' McCormick Tankersley”. LaSalle News Tribune (February 6, 2013). March 11, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。March 25, 2013閲覧。
- ^ Warren, James (23 February 1997). “Graham's Visit Conjures Tale Of 2 Cities, 2 Strong Women”. Chicago Tribune. 27 March 2014閲覧。
参考文献
[編集]- Roberts, Chalmers McGeagh. The Washington Post: The First 100 Years. Boston: Houghton Mifflin, 1977. ISBN 978-0-395-25854-5.