コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヴィトルド・ロヴィツキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィトルト・ロヴィツキ
基本情報
生誕 (1914-02-26) 1914年2月26日
出身地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国タガンログ
死没 (1989-10-01) 1989年10月1日(75歳没)
ポーランドの旗 ポーランドワルシャワ
学歴 クラクフ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリン奏者、指揮者
担当楽器 ヴァイオリン

ヴィトルト・ロヴィツキポーランド語: Witold Rowicki, 1914年2月26日 タガンログ - 1989年10月1日 ワルシャワ)はポーランド指揮者。本姓はカウカ(Kałka)である。ヤン・クレンツスタニスワフ・ヴィスウォツキとともに、俗に「ポーランド三羽烏」と並び称せられた。

経歴

[編集]

クラクフ音楽院にてヴァイオリン作曲を学ぶ。戦時中にドイツに渡り、ルドルフ・ヒンデミット(有名な作曲家パウル・ヒンデミットの弟)に指揮法の個人指導を受けるが、終戦まではヴァイオリン奏者として活動を続けた。祖国解放までにポーランド国立放送交響楽団ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の結成に参加し、1958年から1977年まで後者の音楽監督を務めた[1]。名声が国境を越えてから、1982年から1985年までバンベルク交響楽団の首席指揮者に迎えられた。 ロヴィツキは、アントニーン・ドヴォルジャーク交響曲全集[2]を発表したほか、同時代のポーランド人作曲家(たとえばシマノフスキルトスワフスキ)の諸作品[3]を好んで録音した。

脚注

[編集]
  1. ^ Searle, Humphrey, "Reports from Abroad: Warsaw Contemporary Music Festival" (1959). The Musical Times, 100 (1401): 614.
  2. ^ Anderson, Robert, Review of Dvořák Symphonies Nos. 1, 2 & 4 (1971). The Musical Times, 112 (1545): 1077.
  3. ^ Dunnett, Roderic, "The Review Section: Records - Szymanowski" (November 1990). The Musical Times, 131 (1773): pp. 603-604.

外部リンク

[編集]
先代
グジェゴシュ・フィテルベルク
ポーランド国立放送交響楽団音楽監督
1945–1947
次代
グジェゴシュ・フィテルベルク
先代
ヴワディスワフ・ラチコフスキ
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督
1950–1955
次代
ボフダン・ヴォディチュコ
先代
ボフダン・ヴォディチュコ
ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団 音楽監督
1958–1977
次代
カジミエシュ・コルト
先代
ジェームズ・ロッホラン
バンベルク交響楽団首席指揮者
1983–1985
次代
ホルスト・シュタイン