コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヴィルヘルム・ステーンハンマル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィルヘルム・ステーンハンマル
Wilhelm Stenhammar
基本情報
出生名 Carl Wilhelm Eugen Stenhammar
生誕 1871年2月7日
出身地 スウェーデンの旗 スウェーデン ストックホルム
死没 (1927-11-20) 1927年11月20日(56歳没)
 スウェーデン
ヨーテボリ・ブーヒュース県
パティッレ市 Jonsered
ジャンル ロマン派
職業 作曲家ピアニスト指揮者
担当楽器 ピアノ
活動期間 1892年 - 1925年

カール・ヴィルヘルム・エウフェーン・ステーンハンマルステンハンマルとも、Carl Wilhelm Eugen Stenhammar, 1871年2月7日 - 1927年11月20日)は スウェーデン作曲家ピアニスト指揮者

生涯

[編集]

1887年から1892年までストックホルムピアノオルガン作曲を学び、1892年春にピアニストとしてデビュー。同年秋から翌年まで、ベルリンにピアノ留学。この頃からステーンハンマルは、コンサート・ピアニストとして、熱心かつ積極的に活動を行う。とりわけ、作曲家・ヴァイオリニストトール・アウリンとのデュオや、アウリン弦楽四重奏団との共演に熱意を寄せた。

1897年秋に、初めて指揮者として公開演奏に乗り出し、これ以降、作曲活動を別とすれば、指揮が生涯の長きにわたって活動の中心を占めた。1900年1901年にストックホルム王室歌劇場の楽長に就任。1906年または1907年から 1922年までの間、エーテボリ交響楽団(スウェーデン初のプロの常勤オーケストラ)の首席指揮者を務め、多くの同時代のスカンジナヴィアの音楽を上演した。1923年から1925年まで、再びストックホルム王室歌劇場の楽長に復帰。

1909年に短期間、ウプサラ大学の音楽監督を務めたが、翌年この職務をアルヴェーンに引き継いでいる。

ステーンハンマルは生涯を通して、スカンジナヴィアの音楽界で高い尊敬を勝ち得、多くの名声ある同僚たちと親交を保った。1916年にイェーテボリ大学より名誉博士の学位を受けた。

作風

[編集]

ステーンハンマルは、スウェーデンの最も重要な作曲家の一人である。同世代のアルヴェーンとともに、ベルワルド以降の最も重要な交響曲作家でもある。

ステーンハンマルは、様式的に見て後期ロマン派音楽の作曲家である。当初は、完全にベートーヴェンワーグナーブルックナーブラームスらに影響されて、力強さと激しい情感を伝える重厚な作品を書いた。しかしながら、友人のニールセンシベリウスの手引きで、そのような美学を疑うようになり、新ドイツ楽派から徐々に背を向けた。

1910年を境にステーンハンマルは、新しい理想を成熟させ、それ以降は、「北欧風」の抑揚を目標に掲げ、効果なしでも成り立つような、「透明で飾り気ない」音楽を作曲しようとした。この頃からステーンハンマルの作品は、民謡の旋律法にしたがって形成され、教会旋法の活用や、ある種の真に簡潔な表現によって、紛うことなき「スカンジナヴィア風」の抑揚が展開されている。それにもかかわらず、高度な作曲技法は、わけても明白なポリフォニーが表現に加味されることによっても明らかである。この新しい様式の典型的な作品が、ドーリア旋法を用いた『交響曲第2番』にほかならない。

作品

[編集]

歌劇

[編集]
  • 『ソールハウグの宴』 作品6(1893年
  • 『ティルフィング』 作品15(1898年

管弦楽曲

[編集]
音楽・音声外部リンク
『交響曲第1番ヘ長調』を試聴する
STENHAMMAR SYMPHONY NO.1《指揮者プレトーク有》 - アンドルー・マンゼ指揮ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団による演奏。Konserthuset Stockholm(制作者)公式Vimeo。

声楽曲

[編集]
  • カンタータ『一つの民族』 作品22(1905年
  • カンタータ『歌』 op.44(1921年
  • 合唱曲、約60曲の歌曲

室内楽曲

[編集]
  • 弦楽四重奏曲第1番ハ長調 作品2(1894年
  • 弦楽四重奏曲第2番ハ短調 作品14(1896年
  • 弦楽四重奏曲第3番ヘ長調 作品18(1900年
  • 弦楽四重奏曲第4番イ短調 作品25(1909年
  • 弦楽四重奏曲第5番ハ長調 作品29(1910年
  • 弦楽四重奏曲第6番ニ短調 作品35(1916年
  • ヴァイオリンソナタイ短調 作品19(1899年または1900年

ピアノ曲

[編集]
  • ピアノソナタ ハ長調(第1番)(1880年
  • ピアノソナタ ハ短調(第2番)(1881年
  • ピアノソナタ 変イ長調(第3番)(1885年
  • ピアノソナタ ト短調(第4番)(1890年
  • ピアノソナタ 変イ長調 作品12 (1895年
  • 3つの幻想的小曲集 作品11 (1895年
  • 5つの小品『晩夏の夜』作品33 (1914年

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 日本語では「天の高みに昇らん」[1]や「高みへ向かって」などと表記される[2]

出典

[編集]

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]