パノプティコン
パノプティコンまたはパンオプティコン (Panopticon) は、イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが弟サミュエルに示唆を受け設計した刑務所施設の構想である[1]。その詳細が記された『パノプティコン』が1791年に刊行されている。
pan-は「すべてを」(all)、-opticonは「みる」(observe) の意で、全展望監視システムなどとも訳される。
概説
[編集]功利主義者であったベンサムは、「社会の幸福の極大化を見込むには、犯罪者や貧困者層の幸福を底上げすることが肝要である」と考えていた。
ベンサムの功利主義的な姿勢はパノプティコンにも反映され、ベンサムの考える限りにおいて、運営の経済性と収容者の福祉が最大限に両立されている。ベンサムは「犯罪者を恒常的な監視下におけば、彼らに生産的労働習慣を身につけさせられる」と主張していた[1]。
パノプティコンは、円形に配置された収容者の個室が多層式看守塔に面するよう設計されており、ブラインドなどによって、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えなかった一方で、看守はその位置からすべての収容者を監視することができた[1]。
パノプティコンは民間に委託される予定だった施設であり、少ない運営者でもって多数の収容者を監督することが構想されている。ベンサムの構想では、収容者には職業選択の自由が与えられることになっていて、刑期終了後も社会復帰のために身体の安全が確保され、更生するまでこの施設で労働することができる。パノプティコンは単なる建物としての刑務所だけではなく、社会に不幸をもたらす犯罪者を自力で更生させるための教育までを含めたシステムだった。
生前のベンサムは、当時のイギリスの非人道的な刑務所事情に心を痛め、パノプティコンの建設に力を入れており、父の遺産の一部で模型までつくり、英国議会に強く働きかけた。1816年、ミルバンクで開設されたイングランド国立監獄の発想に影響を与えたものの、国立監獄そのものの実現は、ついに叶わなかった[2]。
最初のパノプティコン型刑務所はアメリカで建設され、その設計思想は刑務所のほか、のちに学校や病院や工場などの施設に応用されることが意図されていた。
マザス監獄やレンヌ中央監獄などに代表される19世紀フランスの監獄建築に、パノプティコンの思想をみることができる[3]。フランスの哲学者ミシェル・フーコーは『監獄の誕生 監視と処罰』で、管理・統制された社会システムの比喩としてパノプティコンを紹介した。
日本での監獄・刑務所のシステムは、明治時代にフランスを手本として構築されたため、旧金沢監獄(現在は愛知県犬山市の博物館明治村に移築)や、旧網走監獄の「五翼放射状平屋舎房」に、パノプティコンの思想をみることができる。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- アンジェラ・デイヴィス 著、上杉忍 訳『監獄ビジネス…グローバリズムと産獄複合体』(初版)岩波書店(原著2008年9月26日)。ISBN 9784000224871。
外部リンク
[編集]- Panopticon - YouTube(英語。投稿日: 2008年11月13日)
- 『パノプティコン』 - コトバンク