柳家金三
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(三遊亭金三から転送)
柳家 金三(やなぎや きんざ)は、落語家の名跡。過去に三遊亭、扇遊亭等を入れると5人確認されている。
- 三遊亭金三 - 1894年発行の「三遊社一覧」にその名前が見える。詳細は不明。本名:中島 亥二郎。
- 扇遊亭金三 - 後∶三代目三遊亭圓遊
- 初代柳家金三 - 後∶柳家金語楼
- 柳家金三 - 初め三代目柳家小さんの門で柳家小太郎から1918年に5代目柳家小きん、1925年に金三となる。1929年頃までの番付に確認できるがその後は不明。本名:浜根 茂平。
- 二代目柳家金三 - 本項にて記述
二代目 | |
古今亭桃輔時代(1956年) | |
本名 | |
---|---|
生年月日 | 1926年1月10日(98歳) |
出身地 | 日本・東京都千代田区 |
師匠 | 五代目古今亭今輔 |
名跡 | 1. 古今亭啓輔 (1952年 - 1954年) 2. 古今亭桃輔 (1954年 - 1967年) 3. 二代目柳家金三 (1967年 - ) |
出囃子 | 東京行進曲(昔恋しいギンザの柳) |
活動期間 | 1952年 - 1990年頃 |
活動内容 | 新作落語 |
所属 | 日本芸術協会→落語芸術協会 |
備考 | |
落語芸術協会会友(事実上の引退) | |
柳家 金三(やなぎや きんざ、1926年1月10日 - )は、東京都千代田区神田出身の落語家、司会者。落語芸術協会会友。出囃子は『東京行進曲(昔恋しいギンザの柳) 』。血液型はB型。本名:佐藤 武一。
経歴
[編集]舞台芸術アカデミー卒業。
1952年4月、五代目古今亭今輔門下で「啓輔」として前座となる。
1954年4月、「桃輔」で二ツ目昇進。
1967年10月、真打昇進に伴い「二代目柳家金三」を襲名。柳家金語楼の前名を初代としている。
少なくとも1990年代初頭から現在まで高座には上がっていない。ただし、その後も講演活動は少なくとも2011年ころまでは行っていた[1][2]。落語芸術協会の公式サイトにはプロフィールは掲載されてはいるが、2020年頃の香盤の整理で「会友」へ移行しており、事実上の引退状態とみられる[3]。
昔昔亭桃太郎は高座で今から40年前[いつ?]には寄席を干されていたと語っている[要出典]。
芸風
[編集]新作派で「ラーメン屋」などのほか、自作演目の「運転練習中」「寝台車」「幽霊タクシー」などを演じていた。
著書
[編集]- 「おかしな夫婦」 柳家金三、佐藤雅子(近代文藝社) 2010年1月 ISBN 978-4773376944
脚注
[編集]- ^ “女性部会報第35号(令和3年4月)” (pdf). 成田法人会. 成田法人会. p. 25 (2021年4月). 2022年1月11日閲覧。
- ^ “平成23年度 事業報告書《総括》” (pdf). 木更津法人会. p. 8. 2022年1月11日閲覧。
- ^ ただし公式サイトの経歴はここで出典とした文献と比べて明らかに不審な点があるためここでは代数を除いて採っていない(ノート参照)。
出典
[編集]- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編 編『古今東西落語家辞典』平凡社、1989年。ISBN 4-582-12612-X。
- 橘左近『東都噺家系図』筑摩書房、1999年。ISBN 4-480-87713-4。
- 以上の2冊では当代を「3代目」としている。
- 小島貞二、遠藤佳三、鈴木重夫『落語家面白名鑑』かんき出版、1982年。
- この本では代数は振られていない。
- 柳家金三 - 落語芸術協会