下之一色町
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しものいっしきちょう 下之一色町 | |
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廃止日 | 1937年3月1日 |
廃止理由 |
編入 |
現在の自治体 | 名古屋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 愛知郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
9,694人 (1935年10月1日) |
下之一色町役場 | |
所在地 | 愛知県愛知郡下之一色町 |
座標 | 北緯35度07分39秒 東経136度49分58秒 / 北緯35.1275度 東経136.83283度座標: 北緯35度07分39秒 東経136度49分58秒 / 北緯35.1275度 東経136.83283度 |
ウィキプロジェクト |
下之一色町(しものいっしきちょう)は、かつて愛知県愛知郡に存在した町である。現在の名古屋市中川区の一部である。庄内川と新川に挟まれた地域であり、漁業の町として栄えた。
概要
[編集]1912年(大正元年)には下之一色魚市場が開設され、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で漁業権の放棄が行われた後も、下之一色魚市場では朝市が行われるなど海産物の取引拠点となっていた[1]。しかし、下之一色魚市場の建物が、新川の堤防改修のために取り壊されることになり、2021年(令和3年)3月13日に営業を終了した[1]。
沿革
[編集]- 1768年(明和5年) - 庄内川の改修により、庄内川東岸であった下之一色村は西岸となる。
- 江戸時代末期、この地域は犬山藩領、尾張藩領であった。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、下之一色村が成立する。
- 1910年(明治43年)1月12日 - 下之一色青物市場が設置される[2]。
- 1912年(大正元年)11月26日 - 字南切に下之一色魚市場が設立される[3]。組合員の出資により三盛社が設立され、これが経営にあたった[3]。仲買人は約20人おり、鮮魚を扱った[3]。
- 1917年(大正6年)7月6日 - 町制施行し、下之一色町となる。
- 1937年(昭和12年)
教育
[編集]交通
[編集]下之一色電車軌道[注釈 1]・築地電軌[注釈 2]・下之一色駅[注釈 3]
現在の公共交通機関としては、名古屋市営バスの「権野」停留所または「一色大橋」停留所がある。三重交通バスの「一色大橋」停留所も名古屋市営バスの停留所と同じ場所にあり、利用可能。
名所・旧跡
[編集]- 青峰堂
- 正雲寺
- 瑞因寺
- 西大寺
- 浅間社
- 下之一色城址
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 下之一色町が名古屋市に編入と同時に名古屋市に譲渡。名古屋市電下之一色線となる。
- ^ 1937年3月1日に名古屋市に譲渡。名古屋市電築地線となる。
- ^ 駅は庄内川左岸に位置した。
出典
[編集]- ^ a b 活気の朝 閉場惜しむ 名古屋・中川区の下之一色魚市場 中日新聞、2021年3月14日閲覧。
- ^ 名古屋市会事務局 1961, p. 403.
- ^ a b c 名古屋市会事務局 1963, p. 188.
参考文献
[編集]- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻 総合名古屋市年表(明治編)』名古屋市会事務局、1961年12月25日。全国書誌番号:49011381。
- 名古屋市会事務所 編『名古屋市会史 別巻第2 総合名古屋市年表(大正編)』名古屋市会事務所、1963年3月10日。全国書誌番号:49011382。