下水野
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地理
[編集]庄内川左岸、水野川下流域に位置していた[1]。旧東春日井郡下水野村に由来する地域であり、現在の瀬戸市北西部に位置する6町(十軒町・鹿乗町・北みずの坂の全域と、本郷町・内田町・みずの坂の各一部)にあたる[2][3]。字四ツ屋・岩割瀬・荏坪には古墳もあって、古くからの開発を物語る[1]。
河川
[編集]この項の参考資料[4]
- 庄内川 : 東春日井郡高蔵寺町(春日井市)との境になる。
- 水野川(庄内川水系)
- 本郷川(水野川支流)
- 海老弦川(水野川支流) : 大字中水野との境になる。
- 麻畑川(海老弦川支流) : 大字中水野との境になる。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]水野は古くは水沼と書いたという[5]。水野川の下流域にあたるところから下水野と称したと推測される[1]。
沿革
[編集]- 戦国時代には、尾張国春日部郡下水野郷として文献に名を残す[注釈 1][1]。
- 江戸時代には、尾張国春日井郡の尾張藩領水野代官所支配の下水野村となる[1]。
- 1880年(明治13年)2月5日 - 春日井郡が東西に分割され、東春日井郡下水野村となる[1][6]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行の際、下水野村と上水野村・中水野村が合併して水野村となり、水野村大字下水野となる[1][7]。
- 1951年(昭和26年)5月3日 - 水野村が瀬戸市に編入され、瀬戸市大字下水野となる[1][8]。
- 1964年(昭和39年)10月1日 - 瀬戸市大字下水野が本郷町・十軒町・鹿乗町・内田町となり、同日をもって瀬戸市大字下水野は消滅する[2][1]。
施設
[編集]寺社
[編集]教育
[編集]1876年(明治9年)当時の下水野村内に東谷学校が設置される[9]が、その後閉鎖[注釈 2]。その後、大字域内に学校は置かれず、大字中水野にある水野小学校(水野村立、のちに瀬戸市立)に通っていた。
交通
[編集]鉄道
[編集]大字域に鉄道は走っていなかった[注釈 3]。
バス
[編集]- 東谷山前停留所
- 十軒家停留所
その他
[編集]1882年(明治15年)下水野村時代の字名は以下の通りであった[12]。
- 海老弦(ゑびづる)・郷島(ごうじま)・麻畑(あさばた)・井ノ口(いのくち)・土佛(つちぼとけ)・十軒屋(じゅうけんや)・建場(たてば)・洞前(ほらまゑ)・東谷(とうごく)・石原(いしはら)・中筏(なかをさ)・半四屋敷(はんしやしき)・入尾(いりお)・岩割瀬(いわわりせ)・荏坪(ゑつぼ)・内屋敷(うちやしき)・後田(うしろだ)・四ツ谷(よつや)・神屋新田(かみやしんでん)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 676.
- ^ a b 瀬戸市 編 1964.
- ^ “広報せと 2007年5月1日号” (PDF). 瀬戸市. 2022年3月5日閲覧。
- ^ “川名が語るふるさとの歴史 愛知の川名 庄内川水系 【瀬戸市・長久手市・尾張旭市・名古屋市守山区・春日井市】”. 愛知の川名 編集委員会. 2022年3月5日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1271.
- ^ 東春日井郡 編 1923, p. 28.
- ^ 東春日井郡 編 1923, p. 64.
- ^ “市の沿革”. 瀬戸市 (2017年3月31日). 2022年3月5日閲覧。
- ^ 東春日井郡 編 1923, p. 477.
- ^ 東春日井郡 編 1923, p. 481.
- ^ 瀬戸市史編纂委員会 2007, p. 326.
- ^ 東春日井郡 編 1923, p. 110.
注釈
[編集]参考文献
[編集]- 東春日井郡 編 編『東春日井郡誌』東春日井郡、1923年。
- 瀬戸市 編 編『昭和39年10月1日施行 町名設定調書(水野北部、品野北部地区)』瀬戸市、1964年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
関連項目
[編集]外部リンク
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