下関市立歴史博物館
下関市立歴史博物館 Shimonoseki City Museum of History | |
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下関市立歴史博物館正面入口 | |
施設情報 | |
正式名称 | 下関市立歴史博物館[1][2] |
前身 |
長門尊攘堂[3] ↓ 財団法人先賢記念長府博物館 ↓ 財団法人長府博物館 ↓ 下関市立長府博物館[2] |
専門分野 | 歴史学 |
収蔵作品数 | 23,482点[2] |
来館者数 | 16,915人[4] |
事業主体 | 下関市 |
管理運営 | 下関市教育委員会 |
延床面積 | 1864.92m²[4] |
開館 | 2016年(平成28年)11月18日[2] |
所在地 |
〒752-0979 山口県下関市長府川端2丁目2-27[4] |
位置 | 北緯33度59分45.3秒 東経130度59分2.5秒 / 北緯33.995917度 東経130.984028度座標: 北緯33度59分45.3秒 東経130度59分2.5秒 / 北緯33.995917度 東経130.984028度 |
アクセス | JR西日本下関駅からサンデン交通バスで23分「城下町長府」下車、徒歩10分 |
外部リンク | 公式サイト |
プロジェクト:GLAM |
下関市立歴史博物館(しものせきしりつれきしはくぶつかん)は、山口県下関市にある市立博物館である。分館として日清講和記念館がある[5]。
沿革
[編集]長府藩報國隊士であった桂弥一が、明治維新の勤皇志士の慰霊のため、1933年(昭和8年)10月20日に長門尊攘堂を設立した[3]のが、この博物館の始まりである。長門尊攘堂は、勤皇志士の遺墨・遺品を展示し国民精神を奮い起こすことを目的としていた[6]。第二次世界大戦後、社会情勢の推移により社会教育施設としての歴史博物館に移行し、1946年に財団法人先賢記念長府博物館、1950年に財団法人長府博物館に改称した。1980年(昭和55年)4月1日、財団法人から下関市に移管し、施設名を下関市立長府博物館に改称した[3] [7][8]。2016年(平成28年)4月1日をもって下関市立歴史博物館と名称を改め[2][9]、11月18日をもって長府川端2丁目に移転し新装開館し、現在に至る[10]。
収集品
[編集]地域の歴史を裏付ける資料として、先史時代の土器から長府藩の林業の先人であった高島得三[11][12]や建築関連の文書[13][14]、あるいは江戸屋敷に関わる文書[15]を収める。文学については長間本『平家物語』[16]や、武家文化としての能楽[17]の研究に資する収蔵品がある。
また幕末の志士の書状や愛用品などを所蔵し、高杉晋作や坂本龍馬のほか、久坂玄瑞、山縣有朋ら明治維新前夜の下関について展示を充実させた[2]。
和同開珎遺物をはじめ、旧毛利家遺品・長州藩に関する幕末の人物の貴重な資料[18]・乃木希典に関する資料[19]がある。
ユネスコ世界の記憶
[編集]2017年には朝鮮通信使に関わる収蔵品がユネスコ「世界の記憶」に選定され[20][21]、平和構築の歴史を裏付ける国際的な研究に協調する[22]。
下関市立長府博物館本館(旧長門尊攘堂)
[編集]下関市立長府博物館本館 | |
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下関市立長府博物館本館 | |
情報 | |
旧名称 | 長門尊攘堂 |
旧用途 | 博物館 |
設計者 | 潮見長彦 |
建築主 | 桂弥一 |
管理運営 | 下関市 |
構造形式 | 鉄筋コンクリート |
延床面積 | 315.23 m² [4] |
状態 | 現存 |
階数 | 1階 |
駐車台数 | 0 |
竣工 | 1933年10月20日 |
所在地 |
〒752-0979 山口県下関市長府川端1丁目2-5 |
文化財 | 国の有形文化財 |
指定・登録等日 | 1999年6月7日 |
下関市立長府博物館本館は、1933年10月20日に長門尊攘堂として竣工された。東洋式鉄筋コンクリートで、外壁は平野石を使用、屋根は瓦葺きである。設計は潮見長彦である[8][23]。長門尊攘堂は、尊皇攘夷のため命を捧げた勤皇志士の霊を祀るために建てられた。長門尊攘堂として使用されていた当時、中央には明治天皇の御真影を安置し、明治天皇並びに孝明天皇の御物をはじめ維新志士の遺墨・遺品を陳列していた[24]。1956年に別館が、1979年に収蔵庫が併設された[8]。1999年6月7日、国の有形文化財に登録された[25]。2015年5月末をもって、博物館としての用途を休止した。
利用情報
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主な出版物
[編集]発行年順。
- 小田富士雄『長門下関周辺の弥生式土器 : 長府博物館蔵品整理報告書』、下関市教育委員会、1957年。NCID BN14968825。
- 椿惣一『財団法人長府博物館要覧』、長府博物館、1963年、NCID BA61195610。
- 『日本史にきざまれたふるさと : 長府博物館市移管記念特別展』下関市立長府博物館、1980年。 NCID BB22331840。
- 長府博物館友の会、長府博物館五十年史編集委員会『城下町長府の文化 : 長府博物館五十年の歩み』長府博物館友の会、1983年。 NCID BN12572856。
- 下関市立長府博物館(編)『収蔵品図録 : 下関市立長府博物館』下関市教育委員会、1986年。NCID BA86766358。
- 下関市立長府博物館『朝鮮通信使と下関 : 企画展』下関市 : 下関教育委員会、2008年。NCID BA88831778。
- 『下関市立歴史博物館常設展示図録』、2016年、NCID BB23442971。
- 『下関のオランダ宿 :本陣伊藤家と佐甲家』、2017年、NCID BB23430440。
- 『龍馬がみた下関 : 坂本龍馬没後150年記念特別展』、2017年。NCID BB25221714。
- 『朝鮮通信使 : 日韓の平和構築と文化交流の歴史 : ユネスコ「世界の記憶」登録記念特別展』2018年。 NCID BB25879110。。
- 『海峡の幕末維新 : 明治維新150年記念特別展』、2018年、NCID BB26727082。
- 『大内氏の興亡と毛利氏の隆盛 : 海峡の戦国史第1章 : 特別展』、2018年。NCID BB27358695。
- 『下関市立歴史博物館年報』、2019年。NCID AA12861875。
- 『下関の鉄道物語 : 赤間関市誕生130年記念特別展示』、2019年。NCID BB28830526。
- 『関ヶ原 : 天下分け目と毛利氏の戦い : 長府藩初代藩主毛利秀元生誕440年記念特別展』、2019年。NCID BB29199479。
- 『下関市立歴史博物館研究紀要』、2020年。NCID AA12889524。
参考文献
[編集]- 『下関市立歴史博物館の設置等に関する条例』条例第39号、下関市、2016年3月24日 。2023年1月29日閲覧。
- 『下関市立博物館の設置等に関する条例』(平成17年条例第121号)の全面改正。
脚注
[編集]- ^ 下関市立歴史博物館の設置等に関する条例 2016, 「第1条」
- ^ a b c d e f 「晋作・久坂、幕末維新に焦点 下関市立歴史博物館、きょうオープン」『朝日新聞』朝日新聞社、2016年11月18日、朝刊 山口版。
- ^ a b c “長府博物館(インターネットミュージアム)”. www.museum.or.jp. 2016年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月18日閲覧。
- ^ a b c d “令和3年度公共施設カルテ(下関市立歴史博物館)” (pdf). 下関市. 下関市. 2023年1月5日閲覧。
- ^ 下関市立歴史博物館の設置等に関する条例 2016, 「第1条2」
- ^ 越智令爾 著、山口県教育会 編『山口県百科事典』大和書房、1982年4月30日。
- ^ 市移管記念特別展 1980.
- ^ a b c “旧長府博物館改修業務” (pdf). 国土交通省 PPP/PFI(官民連携). 国土交通省. 2023年1月5日閲覧。
- ^ 「○教委告示 博物館に係る登録事項の変更登録(山口県教育委員会告示第1号)」『山口県報』定期第2769号、山口県庁、2016年6月17日 。2023年1月29日閲覧。
- ^ 『下関市立歴史博物館のあるところ : 山口県下関市長府川端二丁目地内長門国府跡(川端地区)発掘調査報告書』43号、下関市教育委員会〈下関市文化財調査報告書「長門国府跡 : 長門国府跡周辺遺跡群発掘調査 ; 第19次」〉、2016年。 NCID BB21409330。
- ^ 長池敏弘「高島得三の生涯とその事跡(上)」『林業経済』第26巻第4号、一般財団法人 林業経済研究所、1973年、26-36頁、doi:10.19013/rinrin.26.4_26、ISSN 0388-8614。
- ^ 長池敏弘「高島得三の生涯とその事蹟(下)」『林業経済』第26巻第5号、一般財団法人 林業経済研究所、1973年、18-25頁、doi:10.19013/rinrin.26.5_18、ISSN 0388-8614。
- ^ 佐藤正彦(612)「近世長府大工河村家の事跡と文書(歴史・意匠)」『日本建築学会研究報告. 中国・九州支部. 3, 計画系』第8号、日本建築学会、1990年3月、333-336頁、NAID 110007644818。
- ^ 岡田悟「毛利藩主国廻り時の休泊に用いられた武士住宅について : 毛利藩主国廻り資料に見られる休泊施設(その4)」『日本建築学会計画系論文集』第62巻第492号、日本建築学会、1997年、187-194頁、doi:10.3130/aija.62.187_1、ISSN 1340-4210。
- ^ 加藤仁美、菊岡倶也(7022)「六本木6丁目地区再開発前史 : 麻布北日ケ窪町」『学術講演梗概集. F-1, 都市計画, 建築経済・住宅問題』第2000巻、日本建築学会、2000年7月31日、43-44頁、ISSN 1341-4534、NAID 110004498674。
- ^ 村上光徳「赤間神宮所蔵52号文書の意味 -長間本平家物語研究の一手懸として-」『駒沢短大国文』第6巻第49号、駒澤短期大学国文研究室、1975年12月、ISSN 0286-6684、NAID 110007002219。
- ^ 表きよし「長府藩の能楽」『能楽研究』第28巻、2003年、1-36頁、ISSN 0389-9616、NAID 110004682112。
- ^ 大森映子「萩藩毛利家の相続事情--養子相続と公的年齢」『湘南国際女子短期大学紀要』第9巻、湘南国際女子短期大学、2001年、134-115頁、ISSN 0919-8938、NAID 110006184511。
- ^ 中村幹郎「フランシスコ・フランコと乃木希典〔西文〕」『鹿児島経大論集』第25巻第2号、鹿児島国際大学、1984年7月、ISSN 0288-0741、NAID 110004672299。
- ^ “Documents on Joseon Tongsinsa/Chosen Tsushinshi: The History of Peace Building and Cultural Exchanges between Korea and Japan from the 17th to 19th Century” (英語). www.unesco.org. United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization(ユネスコ). 2020年10月18日閲覧。
- ^ 登録特別展 2018.
- ^ 具, 智賢; 礒永和貴; 田島哲夫 (2018) (朝鮮語). 朝鮮通信使登城行列圖 : 下關市立歴史博物館 所蔵. 민속원총서. 민속원. NCID BB30762360
- ^ “下関市立長府博物館本館(旧長門尊攘堂)”. 文化庁. 2023年1月8日閲覧。
- ^ 関門日日新聞社 編『観光の山口県』関門日日新聞社 。2023年1月8日閲覧。
- ^ “下関市立長府博物館本館(旧長門尊攘堂)”. 文化遺産オンライン. 2023年1月8日閲覧。
- ^ 下関市立歴史博物館の設置等に関する条例 2016, 「第3条」
- ^ 下関市立歴史博物館の設置等に関する条例 2016, 「第2条」
関連項目
[編集]関連資料
[編集]- 辛, 基秀『わが町に来た朝鮮通信使』、明石書店〈青丘文化叢書1〉、1993年。ISBN 4750304913。
- 辛, 基秀『朝鮮通信使の旅日記 : ソウルから江戸--「誠信の道」を訪ねて』、PHP研究所〈PHP新書228〉、2002年、ISBN 4569625711。
- 和田清美、魯, ゼウォン『海峡都市・下関市の生活世界 : 交流・連携, 在日コリアン, まちづくり』、学文社、2020年、ISBN 9784762029882。
- 植野弘子、上水流久彦(編)「国際交流事業における在日コリアンの参与—対馬と下関の朝鮮通信使再現行列を中心に」『人の移動』、風響社、2020年、ISBN 9784894892736。別題『帝国日本における越境・断絶・残像』。
外部リンク
[編集]- 公式サイト
- 山口県-文化振興課-維新史回廊・博物館等 下関市立長府博物館(2014年12月18日閲覧)
- 長府博物館 - インターネットミュージアム