中澤武雄
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中澤 武雄(なかさわ たけお 、1913年2月5日 - 1946年6月20日)は、マトロイド理論を独自に発明した日本の数学者。
来歴
[編集]高知県出身。
ドイツ語で4つの論文を発表し、そのうち最初の3つは、東京文理科大学(筑波大学の前身)で助手として働いていた1935年から1938年にマトロイド理論の主題を紹介したものだった。最後の論文が発表された後、1938年に25歳の時に、事実上日本によって統治されていた満州国に移り、そこで官僚として働いた。1945年の日本の敗北により、ソビエト連邦が満州を支配し、中澤はシベリアに連行された。1946年にソビエト連邦のハバロフスクでジストロフィーにより、33歳で死去した[1][2]。
脚注
[編集]- ^ 西村泰一. “消えた数学者 中澤武雄” (PDF). 2019年5月5日閲覧。(西村と黒田亨による英語の著書の紹介)
- ^ Nishimura, Hirokazu; Kuroda, Susumu, eds. (2009), A lost mathematician, Takeo Nakasawa. The forgotten father of matroid theory, Basel: Birkhäuser Verlag, ISBN 978-3-7643-8572-9, MR2516551
外部リンク
[編集]- 【中澤武雄(東京文理大】 - 『全国紙上数学談話会』(大阪大学数学教室が刊行した数学文集)に寄稿した論文一覧(大阪大学ウェブサイト)