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中野オデヲン座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中野ロマンス座から転送)
中野オデヲン座
Nakano Odeon
種類 事業場
市場情報 消滅
略称 中野ロマンス座
本社所在地 日本の旗 日本
164-0011
東京都中野区中央四丁目1番22号
設立 1950年12月
業種 サービス業
事業内容 映画の興行
代表者 高橋康友
主要株主 東亜興行
関係する人物 高橋康友
外部リンク toakogyo.com
特記事項:略歴
1979年7月13日 閉館
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中野オデヲン座(なかのオデオンざ)は、かつて存在した日本の映画館である[1][2][3][4][5][6][7][8]東亜興行新宿歌舞伎町に進出する以前の1950年昭和25年)12月、東京都中野区鍋屋横丁に開館した[5]。当初の館名は中野ロマンス座(なかのロマンスざ)であった[9][10][11]1979年(昭和54年)7月13日に閉館[7]

閉館後27年を経て、映画『地下鉄に乗って』(2006年)のなかで、撮影用セットとして外観が再現されたことで知られる。

沿革

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データ

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概要

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1953年(昭和28年)6月に発行された『中野ロマンス座 Movie Weekly』の表紙。

1950年(昭和25年)12月、都電杉並線鍋屋横丁電停北側に開館した[5][6]。前年の1949年(昭和24年)8月、阿佐ケ谷駅北口に「阿佐谷オデヲン座」を開館して創業した高橋康友の東亜興行株式会社が、阿佐ヶ谷についで2館目に開業した映画館である[1][5]。同館の当初の名称は、1954年(昭和29年)ころまでは「中野ロマンス座」であった[9][10][11]。1957年(昭和32年)までには「中野オデヲン座」に改称している[2][8]。東亜興行は、同館を開館した翌年の1951年(昭和26年)11月には「新宿オデヲン座」を開業、これは新宿区歌舞伎町に建てられた映画館としては、林以文ヒューマックス創業者)の「新宿地球座」(のちの新宿ジョイシネマ)に次ぐ第2号であった[1][5]。当時の東亜興行株式会社の本社所在地は、1955年(昭和30年)12月に歌舞伎町に「グランドビル」が建つまでの当初、阿佐ヶ谷オデヲン座にあった[12]

中野ロマンス座の時代から中野オデヲン座の初期にかけて、同館は、外国映画(洋画)の三番館、つまりロードショーを終えた作品をその2週後に上映する劇場で、たとえば1953年(昭和28年)6月には、同年4月18日に日本公開された『ナイアガラ』(監督ヘンリー・ハサウェイ[13]、前年の1952年(昭和27年)3月7日に日本公開された『シンデレラ』(監督ウィルフレッド・ジャクソンほか)[14]、および同年6月15日に日本で公開された『女王戴冠英語版』(監督キャッスルトン・ナイト英語版[15]が三本立てで公開されている[注釈 1]

同館が建つ前、とくに第二次世界大戦前の中野・本町通には、1939年(昭和14年)に寄席「光風亭」から映画館に業態変更した光風キネマ(本町通一丁目26番地、中野坂上)、1923年(大正12年)の震災前に開館して焼け残った松竹キネマ直営の中野城西館[16][17](本町通四丁目8番地、現在の中央三丁目32番)、1921年(大正10年)に開館した中野館[17](本町通四丁目36番地、現在の中央四丁目2番)の3館が存在した[7][18][19][20]。1944年(昭和19年)の強制疎開で取り壊され、あるいは空襲で焼失し、いずれも閉館した[7]。戦後は、中野城西館のみが現在の中央3丁目25番の場所に移り、再建された[7][8]。中野城西館は1960年前後には閉館しており、鍋屋横丁の映画館は同館のみになった[2]。1961年(昭和36年)2月8日、営団地下鉄荻窪線(現在の東京メトロ丸ノ内線)が開通して新中野駅ができ、1963年(昭和38年)12月1日、都電杉並線が廃止され鍋屋横丁の電停もなくなった。

1979年(昭和54年)7月13日、閉館した[7]。東亜興行の経営する映画館でもっとも早く閉館した映画館である[5]。閉館後の同地は「オデヲン中野パーキング」として、東亜興行が駐車場経営を行ったが、2001年(平成13年)5月には、跡地に10階建マンション「シャルムコート新中野」が竣工、分譲された[21]

2006年(平成18年)10月21日に公開された映画『地下鉄に乗って』(監督篠原哲雄)は、同館が所在した鍋屋横丁を舞台のひとつとしており、そのため、静岡県伊東市銀座元町の商店街をロケセットとしたなかに、新中野駅や商店街とともに1964年(昭和39年)設定における同館が、オープンセットとして設営・再現された。

脚注

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注釈

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  1. ^ File:Nakano_Romance_may_1953.jpg、中野ロマンス座

出典

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  1. ^ a b c キネ旬[2010], p.52, 56-59.
  2. ^ a b c d 便覧[1958], p.18.
  3. ^ a b 便覧[1969], p.50.
  4. ^ a b 便覧[1970], p.48.
  5. ^ a b c d e f g 会社概要東亜興行、2013年7月29日閲覧。
  6. ^ a b 鍋屋横丁、昭和毎日、毎日新聞、2013年7月29日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g 8 映画館鍋横区民活動センター運営委員会、2013年7月29日閲覧。
  8. ^ a b c d 昭和32年の映画館 東京都 573館、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』)、2013年7月29日閲覧。
  9. ^ a b c おせんにキャラメル、鍋横区民活動センター運営委員会、2013年7月29日閲覧。
  10. ^ a b c d 東京航空写真地図 第2集国立国会図書館、2013年7月29日閲覧。
  11. ^ a b c 総覧[1954], p.17.
  12. ^ 年鑑[1954], p.25.
  13. ^ ナイアガラ - KINENOTE、2013年7月29日閲覧。
  14. ^ シンデレラ - KINENOTE、2013年7月29日閲覧。
  15. ^ 女王戴冠 - KINENOTE、2013年7月29日閲覧。
  16. ^ 石巻[1925], p.458.
  17. ^ a b 中野区[1982], p.107.
  18. ^ 年鑑[1942], p.10-34.
  19. ^ 年鑑[1943], p.454.
  20. ^ 中野区[1971], p.234.
  21. ^ シャルムコート新中野SUUMO物件ライブラリーリクルート、2013年7月29日閲覧。

参考文献

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  • 『欧米及日本の映画史』、石巻良夫プラトン社、1925年
  • 『映画年鑑 昭和十七年版』、日本映画協会、1942年発行
  • 『映画年鑑 昭和十八年版』、日本映画協会、1943年発行
  • 『東京航空写真地図 第2集』、創元社、1954年発行
  • 『映画年鑑 1954』、時事映画通信社、1954年
  • 『全国映画館総覧 1954』、時事映画通信社、1954年
  • 『映画便覧 1958』、時事映画通信社、1958年
  • 『映画便覧 1969』、時事映画通信社、1969年
  • 『映画便覧 1970』、時事映画通信社、1970年
  • 『中野区史 昭和編1』、東京都中野区、1971年
  • 『中野区民生活史 1』、東京都中野区、1982年
  • 『名作写真と歩く、昭和の東京』、川本三郎平凡社、2007年1月 ISBN 4582231160
  • 『映画館のある風景 昭和30年代盛り場風土記・関東篇』、キネマ旬報社、2010年3月26日 ISBN 4873763258

関連項目

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外部リンク

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画像外部リンク
中野オデオン座オープンセット
1964年の設定