歌川国宗 (2代目)
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(二代目 歌川国宗から転送)
二代目 歌川国宗(にだいめ うたがわ くにむね、寛政4年〈1792年〉 - 安政4年6月5日〈1857年7月25日〉)とは、江戸時代後期の浮世絵師。
来歴
[編集]東京都渋谷区の台雲寺に「歌川国宗」の墓碑があり、その碑文によれば歌川国宗は歌川豊国の門人、号は長文斎・杉嶺、姓は山下で俗名は勇蔵。下総国八日市に生れ、江戸柴井町(現在の新橋五〜六丁目)に住んだ。安政4年6月5日、病により没す。享年66。法名は宝山得勇信士と刻まれている。なおこの墓碑を調べた中山忠顕は『掃苔』第四巻第三号で、「浮世絵師伝によれば国宗の墓は同寺(台雲寺)に埋葬すと」と述べているが、『浮世絵師伝』にはそのような記述はない。『広益諸家人名録二編』(天保13年〈1842年〉版)にも「国宗」について、「号長文斎 芝柴井町 山下勇蔵」とある。
『浮世絵師便覧』には「一世豊国門人二世国政、長文斎と号す、山下氏、俗称勇蔵」、また『浮世絵師伝』にも「山下氏、俗称勇蔵、文政中二代国政を名乗りしが、天保に入りて二代国宗を襲名し、長文斎と号す」と記す。よって台雲寺の墓碑にある国宗とは二代目国宗であり、その前名は二代目国政とされている。初代国宗の子ともいわれているが明らかではない。
作品
[編集]- 「市川團十郎 伜市川新之助」 大判錦絵 ボストン美術館所蔵 ※落款「国政画」。文政6年(1823年)、初代豊国の賛あり
- 「十郎すけ成 三枡源之助」 大判錦絵 ボストン美術館所蔵 ※落款「豊国門人国政画」。天保3年(1832年)1月、江戸中村座の『花鳥魁曽我』より
参考文献
[編集]- 飯島半十郎(虚心) 『浮世絵師便覧』 1893年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり。26コマ目。
- 井上和雄編 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり、76コマ目。
- 中山忠顕 「予が観たる墓石のいろいろ(六)」 『掃苔』第四巻第三号 東京名墓顕彰会、1935年
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※116頁
- 国際浮世絵学会編 『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年 ※「歌川国政」の項