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微熱DANJI

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二階堂腱ヂから転送)
微熱DANJI
出身地 日本の旗 日本 東京都渋谷区原宿
ジャンル J-POP
活動期間 2003年 -
レーベル 東芝EMI
共同作業者 氣志團
メンバー 錦織純平
星屑輝矢
二階堂腱ヂ

微熱DANJI(びねつだんじ)は、氣志團の弟分でバックダンサーとしても活躍する、原宿生まれ、原宿育ちの3人組アイドルグループ。星条旗タンクトップデニムホットパンツという、一度見たら忘れられない強烈なスタイルで活動する。

メンバー

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  • 錦織 純平(にしきおり じゅんぺい)1989年2月7日生まれ[1]。AB型。イメージカラーは水色。愛称は「ぺーやん」「純平」。リーダーとして微熱DANJIをまとめる。関西弁が時折出るが、設定上はあくまでも原宿出身[注釈 1]2006年に錦織激団を旗揚げしてから舞台役者としても活躍。好きな言葉は「いじめ、かっこ悪いよ」。他に元ニューロティカのSHON,元氣志團の毒蝮愛等の所属するバンドの「祝い組」のメンバーでもある。
  • 星屑 輝矢(ほしくず てるや)本名:村田 輝矢(むらた てるや)1989年9月9日生まれ。A型。イメージカラーはピンク。愛称は「テルヤ」。役割は、一言でいえば王子様(プリンス)。設定上は原宿出身[注釈 2]。氣志團『SECRET LOVE STORY』のPVに出演、高い演技力も持ち合わせる。好きな言葉は「レディーファースト」。DJ OZMAのバックダンサー・サイドヴォーカル夜王純一と同一人物であると言われている。好きなタレントは、京本政樹
  • 二階堂 腱ヂ(にかいどう けんぢ)1990年2月21日生まれ。血液型不明。イメージカラーはレモン色。愛称は「ニカケン」。弟的存在で、ふわふわした発言をよくする。設定上は原宿出身[注釈 3]。好きな言葉は「レッツビギン!とにかく何かを始めよう!」。好きなタレントは、葉加瀬太郎。趣味は、バイオリン。愛称「ニカケン」と共に「けんちゃん」の呼び名でも 親しまれている。

来歴

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  • 元々は、氣志團のバックダンサー・網走J.Jr(あばしりジャニーズ・ジュニア)の5名のうち3名。 初期の網走J.Jrは現在の微熱DANJIの格好と大きな変化は無いものの、氣志團の雰囲気に合わせたサングラスの着用やオールバックのような髪型など、やや怖めなダンディなオジサン調のダンサーであった。
  • 2003年8月29日 氣志團万博 (2003年、木更津で開催された、最初の氣志團万博) 前日ということで、網走J.Jr が、『 綾小路"セロニアス"翔のオールナイトニッポン 』 にゲスト出演。その際、星屑輝矢(と思われる人物)が大暴走。 綾小路の友達でズブの素人・高田馬場文夫が、彼を必死にフォローしていたのが 印象的な一幕があった。
  • 2004年 氣志團の全国ツアー「氣志團列島-Japanolomania」で微熱DANJIとして派生し、プレ・デビューを遂げるが、その時は綾小路の策略により一時の夢に終わる。
  • 学校へ行こう!』 へ氣志團が出演した際、B-RAP HIGH SCHOOL にゲストで参加。 嶋大輔『男の勲章』の替え歌を歌い、出演を果たす。
  • 2004年9月22日 記者会見を開き、綾小路翔トータルプロデュースの下、東芝EMIよりメジャーデビューすることを発表。
  • 2004年11月7日 ラフォーレ原宿でシークレットライブを敢行。思いの外観客が集まり、周辺が大混乱に陥ったため予定より1時間早くスタート。
  • 2004年11月25日甘い眩暈』でメジャーデビューを果たす。オリコン初登場28位(25日付けデイリー8位)。
  • 2004年11月27日 氣志團現象最終章ツアーファイナルの東京ドーム公演でデビュー後、初のお披露目。マネージャー明星真由美と共に 大幅な時間を割いてステージを占領する。
  • 2004年12月9日  新宿LOFT「スペースシャワー列伝 第45巻 ~祭の宴~」にて、初の単独出演(スペースシャワーTVにて後日放送された)。
  • 2004年12月22日 新星堂PRESENTS 微熱DANJIスペシャルイベント。ファーストCD発売記念のイベントで、ステージと握手会が催された。
  • 2005年3月7日  新宿タワーレコードにて、ラジオ出演とイベントが催される。店舗内にて、ラジオの公開収録、並びに握手会が行われた。
  • 2005年3月21日 新星堂PRESENTS 第2回微熱DANJIスペシャルイベント。セカンドCD発売のイベント。同じくステージと握手会が催された。
  • 2005年4月1日~ 1年間の期間限定で、公式ファンクラブ「37.2部」が発足。会報や、会員の証しとして、メンバーと同型のペンダントなどが配布された。
  • 2005年4月24日 日比谷野外音楽堂で開催された「エンタメ祭!2005春」に、微熱DANJI単独で参加。
  • 2005年5月8日  微熱DANJI、ワッツイン公開取材が行われる。その模様は 後日発売の、雑誌「WHAT'S IN?」に掲載された。
  • 2005年5月23日 初の地方ライブを仙台で行った際、メンバーの二階堂は、誰よりもリラックスしていた。
  • 2005年6月23日 初のワンマンライブ「FIRST KISS~恋、知り初めし頃に~」を、渋谷AXにて開催。この日も二階堂は、誰よりもリラックスしていた。
  • 2005年6月26日 仙台での初の地方ライブ、ワンマンライブに続き、名古屋で行われたライブにも、微熱DANJI単独で参加。
  • 2005年8月7日 「ROCK IN JAPAN FESTIVAL2005」DJ BOOTHに微熱DANJIの出演決定。真夏の熱気の中、ステージを披露した。
  • 2005年8月8日  氣志團スペシャルGIG 第一回男闘呼塾SUMMIT「One Night Carnival」に登場。4曲を披露し、オープニングアクトを務める。
  • 2005年8月23日 CBCラジオハイパーナイト』公開録音「ナガシマ夏フェスタ2005」をナガシマスパーランドにて開催。公開録音に参加し、ステージに出演する。
  • 2005年8月26日9月23日 原宿・Blue Jay Wayにて「ハプニング喫茶 微熱café」を開催。3人それぞれが考案したメニューやショーで、ファンをもてなした。
  • 2005年9月14日 『SMA☆アーティストpresents 「SMAバリ3カーニバル」』1日目に出演。(その模様は、後日 MUSIC ON! TVにて ON-AIRされた。)
  • 2005年9月-10月 微熱DANJIワンマンでのファーストコンサートツアー「FIRST KISS」を開催。全国9ヶ所をめぐり、日程・場所は 下記の通り行われた。
日程 場所
9月19日 鹿児島CAPARVOホール
9月20日 福岡Be-1
9月22日 広島ナミキジャンクション
9月28日 新潟JUNKBOX
9月29日 仙台BEEB BASEMENT THEATRE
10月1日 札幌PENNY LANE
10月4日 高松DIME
10月5日 大阪BIG CAT
10月6日 名古屋Electric Lady Land
  • 2005年10月 氣志團「DJオズマのアゲアゲ☆EVERY騎士(ナイト)!」 (東京、名古屋、大阪)にて、トップバッターで微熱DANJIが出場(MUSIC ON! TVで、後日その様子が放映された)。
  • 2005年11月2日-7日 微熱DANJI ファンクラブ旅行 (3泊6日間) オーストラリアパースにて開催。 この時に、メンバー二階堂が誘拐されたが、4時間後に無事保護される。 それでも それでも 二階堂は、誰よりもリラックスしていた。
  • 2005年11月16日 「エンタメ祭!2005春」に続き、Shibuya O-EASTにて「エンタメ祭!2005冬」が開催される。微熱DANJIも春に続き出演を果たす。
  • 2006年4月4日 富士急ハイランドに、氣志團10周年とコラボした新車両『フジヤマ氣志團號』誕生。オープニングセレモニーにオープンカーで氣志團、バイクで微熱DANJI登場。氣志團號、第一号に乗車し 開幕式を盛り上げた。
  • 2006年5月7日27日 梅田SHANGRILA(5/7大阪)、表参道FAB(5/27東京)にて、ファン感謝祭を開催。トーク中心のステージと、握手会が行われた。
  • 2006年6月10日 仙台、名古屋などに続き、微熱DANJI単独で、東京・渋谷にて行われたライブに出演し、会場を盛り上げた。
  • 2006年8月26日27日 の2日間、極東NEVER LAND( 通常は富士急ハイランドと呼ばれている ) にて、『KISHIDAN 10th ANNIVERSARY SPECIAL 氣志團万博2006“極東NEVER LAND”』に出演。 網走J.Jrとして、「恋人」を披露した。
  • 2009年7月−8月 氣志團現象2009 MIDSUMMER CARAVAN TOUR「ON THE STREET」-AFTER PARTY- (仙台、名古屋、大阪)に、「青春スカイライン・ファントム」が流れる中、微熱DANJIステージに登場。
  • 2010-2011年 氣志團現象2010 A/W HALL GIG TOUR ROCK'N'ROLL GRAFFITI にて、「黒船のペリーズ」として前座を務めた。(公式HP有)
  • 2011年 氣志團現象2011 極東ロックンロール・プリスクールにて、「微熱SHINSHI」としてプレ復活。大変にエッジの効いたブラックジョークな設定で、絶妙な『甘い眩暈』を披露。
  • 2011年 氣志團結成15周年関連のGIGで、眉唾な設定の中、二カケンのソロデビュー発言。デビュー曲「FOR YOU」カップリング曲「勝ち獲れ!野性!」を披露。 司会進行などで活躍した、 テルヤ、ぺーやんが、全身ウサギタイツにオッサンマスクな姿になり、それを後ろに従える爽やかな二カケン。 未だソロデビューの様子はない。
  • 2013年-2014年 気志團大パニック!! ~綾小路 翔殺人事件~(東京、名古屋、大阪)舞台公演に、ぺーやん演出、微熱DANJIとして出演。(DVD化、絶賛発売中)
  • 2014年4月26日 氣志團結成17周年&綾小路翔生誕日特別記念GIG「愛 羅 武 勇」にて、アンコールのオープニングで、微熱DANJI登場。「TEENAGE PIRATE」を披露。

          この時、團長綾小路翔氏より、あらためて微熱DANJIのイントロデュース(紹介)がされる。微熱DANJIデビュー10周年おめでとう!!を、絡めてのコメント。           「 初めての人は知らないだろうけど、彼らは、氣志團のGIG(万博、PV等)では色々務めていて、時には女装、時にはバックダンサー、時には演技などをしたり、           とても素晴らしい、縁の下の力持ちで、本当に感謝しています 」等、團長お馴染みの軽妙なトーク、ブラックジョークを交えながらも、労いの言葉が印象的な一幕となった。

  • 2014年5月28日6月1日  オフィス男闘呼塾エンターテインメント Presents 氣志團現象2014「極東ロックンロール・ハイスクール 第弍章」#37 サンボマスター vs 氣志團 極悪さんぼ~美しくない人間たちの日々~(5/28 赤坂BLITZ)、  春日組魂2014 (6/1 TOKYO DOME CITY HALL) にて、「氣志團万博2014出演枠争奪!? ~仁義なき前座試合~」 と題し、  I's、 Lucy~en~roulette と共に、微熱DANJI出場。 「青春スカイライン・ファントム」 「甘い眩暈 Short ver.」 を披露した。
  • 2015年1月−5月 氣志團現象2015 日本全國HALL GIG TOUR「週末大パニック!超激突!!」にて、龍華楼 として活躍。 初日のみ、スクリーンに「微熱DANJIデビュー10周年」が映し出され、デビュー当時の映像とともに、甘い眩暈、涙BOY涙GIRLが披露された。氣志團も着替えたり、共に歌い 踊りと、微熱DANJIをあらためて祝った。
  • 2015年8月1日 結成10周年記念トークライヴ「微熱DANJI 10周年記念トークライブ ~なのに、あいつ来れないってよ。~」を、阿佐ヶ谷ロフトAにて開催。 リーダーの錦織純平は欠席。昼と夜の2部構成で、夜の部には綾小路翔が飛び入り参加。
  • 2015年9月19日20日 「氣志團万博2015~房総!抗争!天下無双!妄想!狂騒!大暴走!~」 DJ BOOTH STAGEにて、9年ぶりの単独出演を果たす。約500人のヴィネツィアンに迎えられ、斬新な演出を取り入れながら、「青春スカイライン・ファントム」「甘い眩暈」を披露した。
  • 2015年9月23日  「微熱DANJI10周年記念トークライブ Vol.1」を、阿佐ヶ谷ロフトAにて開催。3人揃っての初めてのトークライブとなった。前回と同じく2部構成で、2部には綾小路翔、小休止前の森山直太朗が急遽 登場した。
  • 2015年10月12日  「微熱DANJI10周年記念トークライブ Vol.2」を、阿佐ヶ谷ロフトAにて開催。同じく2部構成。この日、年明けにワンマンライブが行われる という、サプライズな発表があった。1部には、今回も飛び入り参加があり、微熱DANJI・氣志團と かねてより親交の深い、ピン芸人のまちゃまちゃが登場し、ステージを盛り上げた。綾小路翔は仕事のため来場せず、一同をホッとさせた。
  • 2016年1月9日LIQUIDROOMにて2ndコンサート「Sweet Ten~きっと青春が聞こえる~」を開催予定。綾小路翔の命により、1000枚のチケットを完売させないとガチで解散という試練が課される。
  • 2018年10月7日8日に鹿児島市で開催された「THE GREAT SATSUMANIAN HESUTIVAL 2018」に出演[4]

作品

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シングル

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  • 甘い眩暈 (2004.11.25)
  • 涙BOY涙GIRL (2005.2.23)

未発売作品

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  • 鉄のハート
  • 青春スカイライン・ファントム

脚注

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注釈

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  1. ^ 本当の出身地は鹿児島県姶良市である[2][3]
  2. ^ 本当の出身地は鹿児島県である[2][3]
  3. ^ 本当の出身地は鹿児島県である[2][3]

出典

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外部リンク

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