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筏津ダム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仁淀川第三発電所から転送)
筏津ダム
筏津ダム
左岸所在地 高知県高岡郡越知町野老山
位置
筏津ダムの位置(日本内)
筏津ダム
北緯33度33分45秒 東経133度12分45秒 / 北緯33.56250度 東経133.21250度 / 33.56250; 133.21250
河川 仁淀川水系仁淀川
ダム湖 筏津調整池
ダム諸元
ダム型式 重力式コンクリートダム
堤高 25.5 m
堤頂長 141.7 m
堤体積 35,000 m3
流域面積 961.1 km2
湛水面積 37.0 ha
総貯水容量 1,837,000 m3
有効貯水容量 678,000 m3
利用目的 発電
事業主体 四国電力
電気事業者 四国電力
発電所名
(認可出力)
仁淀川第三発電所 (10,000kW)
施工業者 間組
着手年 / 竣工年 1956年1958年
出典 『ダム便覧』筏津ダム [3]
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筏津ダム(いかだづダム、いかだつダム、いかなづダム[1])は、高知県高岡郡越知町野老山(ところやま)、一級河川仁淀川水系仁淀川に建設されたダム野老山ダムともいう。高さ25.5メートルの重力式コンクリートダムで、四国電力発電用ダムである。同社の水力発電所・仁淀川第三発電所に送水し、最大1万キロワットの電力を発生する。

歴史

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愛媛県から高知県へと流れる仁淀川では、古くから愛媛県側を伊予鉄道電気が、高知県側を高知県営にて、それぞれ水力発電所の建設を進めたことで、一大電源地帯が形成されていた。これら仁淀川の水力発電所は戦後になって四国電力が継承。同社は仁淀川中流部において、既存の仁淀川発電所加枝発電所の下流に仁淀川第三発電所の建設を計画した。1955年昭和30年)に漁業および公共補償問題を解決させ、1956年(昭和31年)5月1日に着工。現場はたびたび洪水に襲われ、仮設備のみならず作業員までもが濁流の中に消えていった。こうした難工事の中にあっても新工法の導入によって工期の延伸は抑えられ、完成した発電所は1958年(昭和33年)8月9日に運転を開始した。

周辺

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越知町役場前から仁淀川沿いに敷かれた国道33号を上流に向かって進むと筏津ダムに至る。筏津ダムに貯えられた水は仁淀川第三発電所に送水され、最大1万キロワットの電力を発生したのち、鎌井田の放水口から仁淀川に放流される。この放水口の周辺はアユ釣り場として有名である。仁淀川第三発電所はダムの高さによって落差を得るダム式の水力発電所であるが、その建屋をダムの付近で見つけることはできない。それもそのはず、発電所は筏津ダムに内蔵されているからである。これは建屋建設に適した平地がダム周辺に見あたらなかったためで、コンピュータのない当時のこと、技術者たちは手動計算機を用い、この奇抜なダムの設計を行った。

仁淀川「第三」発電所という名称から、仁淀川「第一」・「第二」発電所の存在が推測されるが、いずれも欠番である。かつて筏津ダムの上流には仁淀川発電所(1万500キロワット)が存在したが、大渡ダム国土交通省直轄ダム)の建設に伴い廃止され、大渡発電所(3万3,000キロワット)として生まれ変わった。大渡発電所から仁淀川第三発電所の中間にも加枝発電所(9,700キロワット)があるのみで、仁淀川第二発電所は存在しない。

脚注

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  1. ^ 筏津ダムの「筏津」の読みについて、ダム便覧[1]は「いかだづ」、『四国電力50年のあゆみ』では「いかだつ」、『角川日本地名大辞典』では「いかなづ」としている。なお、現地地名としての「筏津」の読みは「いかなづ」である[2]

関連項目

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参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編著『角川日本地名大辞典 39 高知県』角川書店、1986年。
  • 四国電力株式会社社長室編『四国電力20年のあゆみ』四国電力、1972年。
  • 四国電力50年史編纂事務局編『四国電力50年のあゆみ』四国電力、2001年。

外部リンク

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