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今川義順

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
今川義順
時代 江戸時代
生誕 文化7年5月24日(1810年6月25日
死没 天保12年5月9日(1841年6月27日
改名 彦松(幼名)
別名 太郎(通称
戒名 瑞龍院殿法雲自曻大居士[1]
墓所 長延寺
幕府 江戸幕府高家
氏族 清和源氏足利氏今川氏
父母 父:今川義用
兄弟 義順、西尾治左衛門
正室:松浦清の娘・
範叙 ほか
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今川 義順(いまがわ よしより)は、江戸時代高家旗本今川家22代当主[注釈 1]

生涯

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文化7年(1810年)、今川義用の長男として生まれる。天保元年(1830年)2月14日、徳川家斉に初御目見する。

天保11年(1840年)4月4日、前年に没した父の遺跡を相続する。表高家に列したが、天保12年(1841年)5月9日に死去、32歳。長延寺に葬られた。

系譜

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4男1女あり、三男の範叙を除き夭折した。

  • 正室:松浦清の娘・機(はた)[2]
    文化11年7月8日(1814年8月22日)生まれ。のちに離婚。明治20年(1887年)8月27日没。
子女
  • 龍王丸
    天保2年(1831年)生まれ。天保5年(1833年)1月17日没、享年4。法名:廓照院殿了然禅童子。
  • 彦丸
    天保6年(1834年)8月23日没。法名:錦繍院殿文山禅童子。
  • 今川範叙
  • 男子
    天保10年(1839年)1月19日没。法名:岩雪禅童子。
  • 女子
    天保11年(1840年)1月11日没。法名:玉泉禅童女。

脚注

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注釈

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  1. ^ 家祖・国氏から数えた代数。

出典

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  1. ^ 『今川氏と観泉寺』p.75、「近世今川家歴代法号一覧表」。
  2. ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下』(霞会館、1996年)p.653

参考文献

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  • 観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)