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仙台市立荒浜小学校

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仙台市立荒浜小学校
荒浜小学校(2021年8月)
荒浜小学校(2021年8月)
地図北緯38度13分21秒 東経140度58分49秒 / 北緯38.2225度 東経140.980306度 / 38.2225; 140.980306座標: 北緯38度13分21秒 東経140度58分49秒 / 北緯38.2225度 東経140.980306度 / 38.2225; 140.980306
国公私立の別 公立学校
設置者 仙台市
設立年月日 1873年7月10日
閉校年月日 2016年3月31日
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
所在地 984-0844
仙台市若林区荒浜字新堀端32-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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仙台市立荒浜小学校(せんだいしりつあらはましょうがっこう)は、1873年から2016年まで宮城県仙台市若林区にあった公立小学校である。校舎は2011年の東日本大震災で被災し損傷。2017年5月より震災遺構として公開されている。

概要

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仙台市の東部に位置する田園地帯であり、東に貞山堀深沼海水浴場がある。

校舎建物は鉄筋コンクリート4階建て[1]。1979年に東側の一部が建てられ、1989年に西側に増築された[1]

2011年の東日本大震災では津波で2階まで浸水[1]。2013年に劣化状況が調査され、耐震基準を満たすための壁が設置されたほか、内外壁のひびに補強用の樹脂を注入する工事が行われた[1]

2016年3月に閉校となった。

所在地

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  • 宮城県仙台市若林区荒浜字新堀端32-1

沿革

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学区

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  • 荒浜地区[2]

東日本大震災と閉校

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2011年3月11日の午後2時46分、生徒の下校時間に東北地方太平洋沖地震が発生し、荒浜地区も強い揺れに見舞われた。児童と避難してきた住民は、津波に備えて4階と屋上に移動した。午後3時55分に津波が押し寄せ、4階建て校舎の2階までが濁流に呑まれた。上の階に被害はなかったが、周辺地域が水没した。避難した人々はその日の夜から翌日にかけて、自衛隊のヘリで救出された。[3]しかし、児童91名のうちの一人が死亡した。

この東日本大震災で地区は甚大な被害を受け、校舎も使用できなくなり、東宮城野小学校で授業を再開した。その後も学区内のほとんどが災害危険区域に指定され、児童数の減少が続いていたことから、2016年3月をもって閉校し、近隣の七郷小学校への統合が決まった[4]

津波浸水高
津波浸水高

震災遺構

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荒浜小学校の校舎は震災遺構として保存されることになり、2017年4月30日より一般公開を行っている[5][6]。2018年5月には、国際連合事務総長特別代表水鳥真美が視察に訪れた[7]

2022年度に一部を改修して「若い世代が将来起こる災害に備えられる内容」をコンセプトとする館内展示の刷新が行われることになった[1]

2023年8月29日、来館者が50万に達した[8]

小学校から長浜方面に歩くと10分以内に「荒浜祈りの塔」に辿り着くが、そこには「荒浜慈聖観音」が建立されている[9]

出典

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  1. ^ a b c d e 震災遺構「荒浜小」の展示リニューアルへ 仙台市、新年度に事業者公募”. 河北新報. 2022年2月26日閲覧。
  2. ^ 仙台市立小・中学校の学区検索(仙台市公式HPより)
  3. ^ 「震災遺構仙台市立荒浜小学校」(「明日への伝言」第2回)、『仙台市政だより』2021年5月、32頁。
  4. ^ 荒浜小学校統合準備委員会(第 1 回)を開催しました - 2014年10月27日 仙台市
  5. ^ 震災遺構の対象となる施設 - 宮城県HP
  6. ^ <震災遺構>仙台・旧荒浜小が一般公開 - 2017年5月1日 河北新報
  7. ^ 「国連防災代表が宮城の被災地訪問」ロイター通信2018年5月19日
  8. ^ 日本放送協会. “震災遺構の荒浜小学校 開館以来の来館者が50万人に|NHK 宮城のニュース”. NHK NEWS WEB. 2023年9月2日閲覧。
  9. ^ 〒984-0033 宮城県仙台市若林区荒浜中丁36−32向かい

関連項目

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外部リンク

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