伊余部馬養
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(伊預部馬養から転送)
時代 | 飛鳥時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 馬飼、氏:伊与部、伊豫部 |
官位 | 従五位下 |
主君 | 持統天皇→文武天皇 |
氏族 | 伊余部連 |
伊余部 馬養(いよべ の うまかい)は、飛鳥時代の貴族・漢詩人。氏は伊与部・伊豫部、名は馬飼とも書く。姓は連。位階は従五位下。伝承的な童話『浦島太郎』の作者とされる。
出自
[編集]伊与部(伊余部、伊與部)氏は伊与部の伴造氏族。連姓の伊与部氏は、尾張氏の一族で、天火明命の流れを汲む少神積命の後裔とする[1]。
経歴
[編集]持統天皇3年(689年)に書物の編集を担当する撰善言司となる(この時の冠位は勤広肆[2]。文武天皇4年(700年)律令選定の功績から禄を(この時の冠位は直広肆)[3]、大宝元年(701年)『大宝律令』完成によって再び禄を賜与された(この時の位階は従五位下)[4]。
大宝3年(703年)にも律令選定の功労により、馬養の子が功田6町と封戸百戸を与えられ、田は子の代まで相続を許されたが、封戸は本人限りとされた[5]。天平宝字元年(757年)に馬養自身の功田を下功として10町分の土地を子に継がせた[6]。
人物
[編集]漢詩に優れ、『懐風藻』に漢詩作品が採録されている。また、物語の制作も行ったとされ、現在でもよく知られる伝承的な童話の『浦島太郎』の作者とされる[7]。