信参鉄道
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(信三鉄道から転送)
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 愛知県碧海郡安城町大字安城字数馬27[1] |
設立 | 1907年(明治40年)6月[2] |
業種 | 鉄軌道業 |
代表者 | 理事 坂野憲治、築山康平[3] |
資本金 | 1,300,000円[2] |
特記事項:上記データは1915年(大正4年)現在[2]。 |
信参鉄道(しんさんてつどう)は、愛知県新川から安城、挙母、足助を経て長野県飯田に至る鉄道建設を計画し、工事中に頓挫した鉄道会社である。
沿革
[編集]- 1900年(明治33年)
- 1901年(明治34年)5月30日 - 新川・足助間の鉄道敷設仮免許を取得[7][8]。有効期間24ヶ月[6]。
- 1903年(明治36年)5月 - 本免許を申請するも翌年まで延期される[9]。
- 1904年(明治37年)- 日露戦争の勃発によりさらに2年延期[9]。
- 1906年(明治39年)
- 1907年(明治40年)
- 1908年(明治41年)7月 - 副島道正が社長を辞任し取締役理事の築山和一が事務を代行[14]。社長後任は南梃三(就任時期不明)[15]。
- 1910年(明治43年)12月 - 足助・辰野間および挙母・名古屋間の鉄道敷設申請が却下される[13]。
- 1911年(明治44年)12月5日 - 軽便鉄道に指定[16]。
- 1914年 (大正3年)
- 1915年 (大正4年)
- 1916年(大正5年)
計画区間
[編集]- 免許線
- 却下線
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- 飯田方面
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- 足助 - 稲橋 - 名倉 - 津具 - 飯田 - 伊那 - 松島 - 辰野[6]
予定車両
[編集]25噸タンク式機関車4両、一二等合造客車(い1-4)、三等客車(ろ1-20)、三等緩急合造客車(は1-6)、有蓋貨車(子1-16)、有蓋緩急車(丑1-2)、三枚側無蓋貨車(寅1-8)、二枚側無蓋貨車(卯1-8)、二枚側無蓋貨車(辰1-2)客貨車は四輪車[23]
脚注
[編集]- ^ a b 林口 1974, p. 12.
- ^ a b c 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 林口 1974, p. 9.
- ^ a b c d 林口 1974, p. 6.
- ^ a b 林口 1974, p. 15.
- ^ a b c d e f g 豊田市 1978, p. 506.
- ^ 『鉄道局年報. 明治34年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道株式会社仮免許状下付」『官報』1901年6月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 林口 1974, p. 7.
- ^ 林口 1974, p. 13.
- ^ 「本免許状下付」『官報』1906年12月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治41年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c 『日本鉄道史. 下編』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 林口 1974, p. 8.
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治42年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道指定」『官報』1911年12月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許一部取消」『官報』1914年5月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許一部取消」『官報』1914年10月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 林口 1974, pp. 13–14.
- ^ a b 豊田市 1978, p. 507.
- ^ 「軽便鉄道免許失効」『官報』1916年8月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 林口 1974, p. 14.
- ^ No.16「信参鉄道株式会社工事方法書等」8-9頁『第十門・私設鉄道及軌道・二、普通鉄道・信参鉄道株式会社・明治三十三年~明治三十九年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)
参考文献
[編集]- 林口孝「幻の信参鉄道」『碧南市史料』第40巻、碧南市史編纂会、1974年8月。
- 豊田市教育委員会(編)『豊田市史 3 近代』豊田市、1978年。