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伝香寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
傳香寺から転送)
伝香寺
所在地 奈良県奈良市小川町24
位置 北緯34度40分50.2秒 東経135度49分32.7秒 / 北緯34.680611度 東経135.825750度 / 34.680611; 135.825750座標: 北緯34度40分50.2秒 東経135度49分32.7秒 / 北緯34.680611度 東経135.825750度 / 34.680611; 135.825750
山号 なし
宗派 律宗
本尊 釈迦如来
創建年 伝・宝亀2年(771年
開山 伝・思託
中興年 天正13年(1585年
中興 芳秀宗英尼
札所等 大和北部八十八ヶ所霊場第10番
大和地蔵十福霊場第1番
文化財 本堂、木造地蔵菩薩立像(重要文化財
法人番号 1150005000293 ウィキデータを編集
伝香寺の位置(奈良市内)
伝香寺
伝香寺
伝香寺 (奈良市)
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伝香寺(でんこうじ)は、奈良県奈良市にある律宗寺院山号はなし。本尊釈迦如来。花びらが一枚ずつ散ってゆく「散り椿」は、東大寺開山堂の「糊こぼし」・白毫寺の「五色椿」と並び「奈良三名椿」に数えられる。

歴史

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伝承によれば、鑑真和上の弟子である思託(したく)律師により宝亀2年(771年)に開創され、当初の寺号を実円寺と称したという。

天正13年(1585年)に戦国武将筒井順慶の母・芳秀宗英尼が順慶の菩提を弔うために正親町天皇の勅許を得、唐招提寺泉奘長老を招いて伝香寺と名を改めて寺を再興し、以後筒井氏菩提寺となった。現存する本堂はその時のものである[1][2]

境内

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文化財

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重要文化財

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  • 本堂
  • 木造地蔵菩薩立像・像内納入品
    • (以下、像内納入品明細)
    • 木造薬師如来坐像 1躯、種子「ア」 1紙、碧瑠璃舎利壺 1口、絹編袋 1口(以上頭部内)
    • 紙本墨書般若心経 1紙、宋版細字法華経(一部七巻) 1帖、紙本墨書解深密経 1巻、紙本墨書願文 3通、紙本墨書結縁交名 1通(以上腹部内)
    • 木造十一面観音立像 1躯(以上左腿部内) - 鎌倉時代に一部に流行した裸形着装像で、別名・はだか地蔵尊とも呼ばれる。裸形の木像の上に、普段は布製の法衣が着せられている。像内納入品のガラス瓶、小仏像等も一括して重要文化財に指定されている。納入品の願文の年紀から安貞2年(1228年)の作と判明し、仏師善円と推定される[3]春日四所明神本地仏である。

奈良県指定有形文化財

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奈良市指定有形文化財

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伝香寺旧蔵の文化財

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前後の札所

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大和北部八十八ヶ所霊場
9 元興寺極楽坊 - 10 伝香寺 - 11 圓證寺
大和地蔵十福霊場
1 伝香寺 - 2 元興寺極楽坊

アクセス

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脚注

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  1. ^ 『日本名刹大事典』、p.632
  2. ^ 伝香寺の歴史(学校法人伝香寺学園サイト)
  3. ^ (倉田、1973)、pp.42 - 43, 83 - 84, 110
  4. ^ 平成22年度文化庁購入文化財一一覧(「購入文化財の概要」を参照)

参考文献

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  • 『日本歴史地名大系 京都市の地名』平凡社、1979年
  • 圭室文雄『日本名刹大事典』雄山閣、1992年
  • 倉田文作「像内納入品」『日本の美術』86、1973年

関連項目

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  • 行基図 - 戦国時代の代表的な現存の行基図である『南贍部洲大日本国正統図』は、元は伝香寺に収められたものであったが明治維新の混乱期に流出し、後に唐招提寺によって買い取られて同寺の寺宝(現在重要文化財)となった。

外部リンク

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