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全国優良石材店の会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
全国優良石材店から転送)

一般社団法人全国優良石材店(ぜんこくゆうりょうせきざいてん)は、日本全国の石材店400社あまりで組織されている墓石業界団体。略称は全優石

墓石に関するPR活動を行うと共に、加盟店相互の連携を通じたサービスの向上を目指している。

沿革

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設立

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全優石は1982年1月(1983年とする資料あり[1])、東北工業株式会社社長の吉田剛を会長として設立された[2][3]。東北工業は昭和40年代に墓石材輸入業に参入、1975年から吉田は顧客の業者を対象にセミナーを開催して経営を説き、独自の市場調査で得た知識を展開、この活動が後の全優石設立につながった[2]。全優石設立後、約300社が会員となった。全優石は言わば「売りっ放し」の傾向のあったこの業界において、1984年に墓の保証書発行制度を導入した[4][1][5]。また建墓ローンや[1][5][6]大東京火災の積立交通傷害保険と組み合わせた「建墓プラン」など[7]といった商品の提供も行った。

ニューデザイン運動

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1987年1月、東北工業株式会社はインターロック株式会社に改称し[2]、この年から全優石は「ニューデザイン運動」を展開、2月には彫刻家・建築家・造形作家・グラフィックデザイナーなど各界の専門家に依頼して新たにデザインした墓の発表会をホテルで開催した[8]。この運動は、海外から安価な墓石が完成品の形でも輸入されるようになってきたことから、デザイン面で差別化を図り競争力を維持することを狙ったものであった[9][10]。発表会は業界関係者のほか一般客も約500名が来場し、個性的なデザインを持った墓に対する関心の高さを示した[11]。全優石はその後もデザイン重視の路線を続け、1988年にはインターロック名義でデザイナーと契約、会員企業へのデザイン供与を開始したほか[12]、1995年からは「ニューデザインお墓写真コンテスト」を開催、一般から募集した独自のデザインの墓を表彰する取り組みも行った[13]

1991年1月、吉田剛はインターロックの社長職を弟に譲り、全優石の活動に専念するようになった[2]。この時期から全優石は販売以外の関連分野でもさまざまな事業を展開した。1991年には墓石の清掃を請け負う事業を行っているクリーンセミタリーと提携、「墓石リフレッシュサービス」の提供を開始した[14]。また1992年には電話で一般からの墓に関する相談を受け付ける無料相談サービスを開始し[15]、毎年彼岸の時期に実施するようになった。1993年には情報提供をさらに拡大し、全国の加盟社を通じて入手した空き墓地情報の提供も開始した[16]。1994年には一般消費者向け電話相談で得た知見も反映し、「お墓講座」を大都市で開催するほか[17]、希望があれば出張講座にも応じるとした[18]。こうした情報提供は、空き墓地情報提供においては加盟社への誘導を行わず、また出張講座においても売り込みは行わないなど[19]、加盟社の拡販に直接つなげるというよりは、消費者の啓蒙を通じた長期的な利益を目指した試みであった。

ZTM戦略

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一連の施策で全優石の名称は一定の認知を得たものの、具体的な活動内容までは浸透していなかった。業者側でも加入の利点が見出しにくいという意見もあり、設立当時800社を目標とした加盟社数は一時420社となったのを最高に300社あまりにとどまっていた。これに対し全優石は2001年「ZTM戦略」を打ち出し、戦略の一環として加盟店舗に全優石認定店の看板設置を推進、全優石への認知が加盟店の認知につながるようにした。2002年には中間法人に移行、2003年には小林亜星をイメージキャラクターに起用し、2億3000万円の予算のうち1億円をCMや新聞広告に投入して広範な宣伝活動を展開した[3]

2004年にはユネスコユニセフ緑の募金などを通じて公益事業を推進していく方針を示した[20]。2011年に発生した東日本大震災では、墓石修復をボランティアで進めるとともに、「NEW津波石」と名付けた新たな石碑を被災地500箇所に建てる「命の復幸計画」を発表している[21]

参考文献

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  • 吉田剛『想いをこめた新しいお墓づくり 絶対に後悔しないための建墓のポイント』現代書林、2008年。ISBN 978-4-7745-1116-0 

脚注

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  1. ^ a b c 「[私の実践経営学]インターロック社長 吉田 剛氏 利益目標より、何がやりたいか」『日本経済新聞』昭和63年(1988年)2月22日付朝刊13面。
  2. ^ a b c d 岡村青「異色経営者 石の無限性・可能性に挑戦する 石の文化創造者 吉田剛(全国優良石材店の会会長)」『人物往来 Who's who today』第2巻第3号、新人物往来社、1992年10月、114-121頁。 
  3. ^ a b 「今月のインタビュー 全国優良石材店の会(全優石)の21年 全優石会長 吉田 剛」
    • 「その①」『仏事』第2巻第11号、鎌倉新書、2003年4月、18-22頁。 
    • 「その②」『仏事』第2巻第12号、鎌倉新書、2003年5月、22-27頁。 
  4. ^ 『想いをこめた新しいお墓づくり』141-142ページ。
  5. ^ a b 高尾建博「[ひと起承転結]インターロック社長 吉田 剛氏 承の巻 業界の体質改善に音頭」『日経産業新聞』昭和63年(1988年)4月5日付28面
  6. ^ 竹中良一「深刻化する東京の墓地不足」『暮らしと政治――議会と自治体――』第380号、日本共産党中央委員会、1989年9月、141-147頁。 
  7. ^ 「大東京火災 〝建墓プラン〟を販売中 全優石と提携して九月から」『インシュアランス』第3248号、保険研究所、1986年11月27日、19頁、ISSN 0910-4526 
  8. ^ 「お墓のデザインもブランド時代?! 一線で活躍の彫刻家らに依頼 4日 業者がホテルで新作発表会」『朝日新聞』1987年(昭和62年)2月2日付朝刊21面。
  9. ^ 矢田正人「この未来企業 墓石にデザイン感覚を導入した インターロック社長 吉田 剛」『財界』第36巻第28号、財界研究所、1988年11月22日、136-137頁。 
  10. ^ 「墓石の輸入、急増 みかげ石5年で倍 低価格、国産の十分の一」『日本経済新聞』昭和63年(1988年)8月15日付朝刊26面。
  11. ^ 「室内墓地 ロッカー式 購入ローン 変わるお墓観 残る抵抗感 デザイン発表にどっと一般客 個性的に〝眠りたい〟」『日経流通新聞』昭和62年(1987年)3月19日付22面。
  12. ^ 「〝来世〟も自分で演出 デザイナー4人が制作 オーダーメード墓石 インターロック」『日経産業新聞』昭和63年(1988年)2月3日付5面。
  13. ^ 内藤理恵子「現代日本における墓石の形状変化」『研究所報』第20号、南山宗教文化研究所、2010年、23-42頁、ISSN 0917-818XNAID 40017283151 
  14. ^ 「墓石の清掃・管理で提携 クリーンセミタリーと全優石 3年契約サービス」『日経産業新聞』1991年(平成3年)2月26日付30面。
  15. ^ 「無料でお墓の電話相談」『日本経済新聞』1992年(平成4年)8月3日付朝刊11面。
  16. ^ 「全優石 空き墓地教えます 無料で電話サービス」『日経産業新聞』1993年(平成5年)3月10日付17面。
  17. ^ 「彼岸を前に「お墓講座」 〈全国優良石材店の会〉 基礎知識から最新事情まで」『日経流通新聞』1994年(平成6年)8月13日11面。
  18. ^ 「石材業界が出張講座始める 墓に対する見直し機運の中で」『毎日新聞』1994年(平成6年)9月11日付朝刊21面。
  19. ^ 「現代のお墓事情を〝出前〟 業者が講座」『読売新聞』1994年(平成6年)7月1日付朝刊25面。
  20. ^ 「新たに「ユネスコ」などを通しての公益事業推進 本部事務局をマーケティング本部として位置づけ ――戦う組織へ、中間法人全優石が第4回定時総会――」『仏事』第5巻第10号、鎌倉新書、2003年5月、60-62頁。 
  21. ^ 榊真理子「津波被害の沿岸部500カ所に石碑を 「全国優良石材店の会」」『毎日新聞』2011年(平成23年)11月21日付東京朝刊28面。

外部リンク

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