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八坂神社 (みやま市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八坂神社
festival
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所在地 福岡県みやま市瀬高町上庄163
位置 北緯33度09分31.4秒 東経130度28分03.0秒 / 北緯33.158722度 東経130.467500度 / 33.158722; 130.467500
主祭神 素盞鳴尊・応神天皇・武内宿禰公・和田住尊
社格 旧県社
創建 伝安元2年(1176年)
別名 祇園宮、上庄の祇園さん
例祭 4月16日
主な神事 提灯ぞろえ(7月21日)・大人形(7月24・25日)
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八坂神社(やさかじんじゃ)は福岡県みやま市瀬高町上庄に鎮座する神社旧社格県社

明治以前の旧称は瀬高祇園宮、または瀬高上庄祇園宮。このために俗称「上庄の祇園さん」で親しまれる。

祭神

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素盞鳴尊応神天皇武内宿禰公、和田住尊を祀る。

由緒

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1176年安元2年)に宇都宮弥三郎の子、小太郎中次と重国により勧請されたという。1596年文禄5年)の石高は『寺社領高覚書』(立花家文書の一つ)に瀬高上庄村内30石とある。また、立花親茂(後の立花宗茂)より50石寄進される。

関ヶ原の戦いによる敗戦で宗茂が改易され、田中吉政柳河藩に入封するが、50石を安堵される。「田中筑後守殿家人数並知行付帳」では「58石 瀬高祇園領」とある。

田中氏が無嗣断絶になると立花宗茂が再度柳河藩主になる。1621年元和7年)に宗茂により社殿再建される。「延宝九酉年知行取無足扶持方共」(1681年頃の史料)に「同断(50石)瀬高祇園宮社領」と「3石3舛1合 (瀬高祇園宮)宮司」とある。『旧柳川藩誌』では境内の広さ4町8反余りとある。

明治の神仏分離令により名称を八坂神社に変更。

祭祀

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祭礼は4月16日。また、7月24日から25日(旧来は6月1日から同月11日)にうう人形さんの祭礼がある。

江戸時代には柳河藩領内の多くの神社同様に旧暦6月15日に祇園会が行われ、瀬高上庄祇園宮の祇園会の場合は柳河藩家老が代参した。

文化財

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(括弧内は指定の種目と年月日)

福岡県指定

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  • 大人形・大提灯(有形民俗文化財、昭和31年1月16日)

参考文献

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  • 『日本歴史地名大系第41巻 福岡県の地名』(平凡社2004年10月20日初版)
  • 「柳川市史別冊 図説立花家記」(柳川市史編集委員会編集、平成22年3月30日発行)
  • 「柳川歴史資料集成第3集・柳河藩分限帳」(平成10年(1998年3月20日発行、柳川市史編集委員会)

外部リンク

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