滋賀県立八幡商業高等学校
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滋賀県立八幡商業高等学校 | |
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本館 | |
北緯35度8分5.6秒 東経136度5分34.3秒 / 北緯35.134889度 東経136.092861度座標: 北緯35度8分5.6秒 東経136度5分34.3秒 / 北緯35.134889度 東経136.092861度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 滋賀県 |
学区 | 全県一学区 |
設立年月日 | 1886年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
商業科 情報処理科 国際経済科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D125220400039 |
高校コード | 25121G |
所在地 | 〒523-0895 |
滋賀県近江八幡市宇津呂町10 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
滋賀県立八幡商業高等学校(しがけんりつ はちまんしょうぎょうこうとうがっこう)は、滋賀県近江八幡市宇津呂町に所在する公立の商業高等学校。略称は「八商」(はっしょう)。
建築家・実業家として活躍したウィリアム・メレル・ヴォーリズは、来日当初は本校で英語教師を務めていた。2年後、宗教上の問題で教師を解職させられたが、のちに本校の校舎を改築する際に設計を任された。ヴォーリズが設計した校舎は現在も使われている。
戦後本校を取材した評論家の大宅壮一は、優秀な実業家を多く輩出する本校を「近江商人の士官学校」と評した。
設置学科
[編集]沿革
[編集]- 1886年(明治19年)5月1日 - 滋賀県商業学校として開校(創立は同年3月4日)
- 1901年(明治34年)
- 1907年(明治40年)11月1日 - 校歌(土井晩翠作詞 東京音楽学校作曲)制定
- 1908年(明治41年)4月1日 - 滋賀県立八幡商業学校と改称
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により滋賀県立八幡高等学校と改称
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 滋賀県立中央高等学校と改称
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 滋賀県立八幡高等学校に復す
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 滋賀県立八幡商業高等学校と改称
校舎建築概要
[編集]- 竣工 - 1940年
- 基本設計 - ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
- 構造・規模 - 鉄筋コンクリート、地上3階建
部活動
[編集]運動部
[編集]硬式野球部は滋賀県内では甲子園常連校として知られ、これまでに選抜高等学校野球大会で7回、全国高等学校野球選手権大会で7回の出場実績がある。春夏通じて7回出場した1987年から2001年の間には林勝が監督を務めた。バレーボール部(女子)は第67回、第68回春の高校バレーに出場実績がある。
- 硬式野球 - 春7回出場、夏7回 甲子園出場
- 男子サッカー
- 女子サッカー
- 陸上競技
- バレーボール(女子) - 高校総体 14回出場、春の高校バレー 14回出場
- バスケットボール
- ソフトテニス
- ソフトボール
- ボート
- 卓球
- 剣道
- カヌー
文化部
[編集]- 新聞
- 演劇
- 放送
- 簿記珠算
- 家庭(茶道・華道)
- ワープロ
- ブラスバンド
- 美術
- ESS
- 写真
- コンピュータ
- 環境科学同好会
- ビジネス研究同好会
交通アクセス
[編集]同窓会
[編集]- 近江尚商会
特記事項
[編集]著名な出身者
[編集]- 宇野宗佑 - 内閣総理大臣
- 伊藤竹之助 - 伊藤忠商事社長
- 伊藤忠兵衛 (二代) - 伊藤忠商事社長
- 越後正一 - 伊藤忠商事社長・会長
- 塚本幸一 - ワコール創業者
- 中村伊一 - ワコール副社長・京都証券取引所理事長
- 堀文平 - 富士紡績社長・会長、経団連副会長
- 川瀬源太郎 - 日本生命保険社長・会長
- 4代目内田佐七 - 実業家
- 荒川昇治 - 元プロ野球選手
- 大辻秀夫 - 元プロ野球選手
- 西川純司 - 元プロ野球選手
- 国松俊英 - 児童文学作家
- 遠藤エミ - 競艇選手
- 則本昂大 - プロ野球選手・東北楽天ゴールデンイーグルス
参考文献
[編集]- エコノミスト 96(17)「名門高校の校風と人脈(286)八幡商業高校(滋賀県立・近江八幡市) 近江商人の「三方よし」を会得 伊藤忠の2代目以降トップ4人」2018.4.24 p.46-47 毎日新聞出版
脚注
[編集]- ^ 同じ高校の3人、税理士試験で2科目合格 互いに教え合い、平日6時間勉強 京都新聞 web版 2022年1月20日 16:30