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パンディヤ・ナードゥ地方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


パンディヤ・ナードゥ地方

Pandya/Pandi Nadu
地理的地方
பாண்டிய நாடு
パンディヤ・ナードゥ地方の位置 (タミル・ナードゥ州)
パンディヤ・ナードゥ地方の位置 (タミル・ナードゥ州)
インドの旗 インド
タミル・ナードゥ
地理的な広がり
最大の都市 City
  • マドゥライ
  • 政府
     • 議会 タミルナードゥ州政府英語版インド政府
    面積
     • 合計 30,108.13 km2
    人口
     • 合計 15,616,770人
    言語
     • 公用語 タミル英語
     • その他 テルグカンナダマラヤラムサウラーシュトラ
    等時帯 インド標準時

    パンディヤ・ナードゥ地方(パンディヤ・ナーデゥちほう、タミル語:பாண்டிய நாடு: Pandya Nadu、Pandi Nadu)は南インドタミル・ナードゥ州にある。その広がりは西にVenadAy Naduがあり、北東にen:Chola Nadu、北西にen:Kongu Naduが位置する。マドゥライ県テーニ県シヴァガンガイ県ラーマナータプラム県ヴィルドゥナガル県ティルネルヴェーリ県テンカシ県英語版トゥーットゥックディ県カンニヤークマリ県およびティンドゥッカル県の一部を含む[1][2]

    歴史

    [編集]

    この地域とパーンディヤ朝の結びつきは少なくとも紀元前4世紀までさかのぼり1759年にいたる[3]マドゥライは文化および政治の主要な中心地で[4][5]、かつてのパーンディヤ朝の首都である。往時の主な交易港は河口からさかのぼったコーカイにあり、第二の中心都市として栄えた[6]

    紀元前3世紀にサンガム朝(Sangam age)が滅びると地域はカラバラ朝(Kalabhras)の支配下に置かれ、やがてパーンディヤ朝復興運動を率いるen:Kadungon により第1次パーンディヤ朝が興り(6世紀)、また10世紀に中世チョーラ朝の支配を受けたのちに第2次パーンディヤ朝が再興する。デリー・スルターン朝の南下がマドゥライ・スルターン朝の成立を導き、パーンディヤの版図はヴァイハイ川英語版流域より南へと退いた。その後、ヴィジャヤナガル王国の王子がスルターンたちを押し戻してこの地域を家臣に与えた。16世紀に王国が衰退するとマドゥライ・ナーヤカ朝の独立、カルナータカ太守の台頭を経て18世紀にイギリス領マドラス管区に併合された[6]

    この地域が文化と経済、政治においてケララスリランカに密接に関わってきたのは、インド洋を介して西アジアと東アジアの貿易が背景にあった。現代のパンディヤ・ナードゥ地方の中心地はカンニヤークマリで、インド亜大陸の先端に位置する。

    パンディヤ・ナードゥ地方は15世紀ヴィジャヤナガル王国の支配下に置かれ、16世紀の帝国崩壊から17世紀にイギリスに征服されるまで、この地域を支配したのはマドゥライのナヤク族である。18世紀になるとマドラス管区に統合される。1947年のインド独立後、マドラス管区はマドラス州に改称され、後にタミル・ナードゥ州に改組される。

    脚注

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    1. ^ Pandiya Nadu” (英語). 2021年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。26 December 2017閲覧。
    2. ^ Stein, Burton (1977). “Circulation and the Historical Geography of Tamil Country” (英語). The Journal of Asian Studies 37: 7-26. 
    3. ^ N., Sethuraman (1993). The Later Pandyas (1371 - 1759 AD). Tiruchirapalli: The Epigraphical Society of India. 
    4. ^ 柳沢究、大辻絢子、布野修司「マドゥライ (タミル・ナードゥ州, インド) の都市形成と住み分けの構造」『日本建築学会計画系論文集』第71巻第605号、日本建築学会、2006年、93-99頁、doi:10.3130/aija.71.93_2ISSN 1340-4210NAID 110004799064 
    5. ^ 加治明「南インド、プドゥコッタイ地区の刻文に見るパーンディヤ朝の税目」山本達郎博士古稀記念論叢編集委員会 編『東南アジア・インドの社会と文化』上、山川出版社、1980年。全国書誌番号:81013056doi:10.11501/12184521。NDLデジタルコレクション、国立国会図書館内限定公開、遠隔複写可。
    6. ^ a b Sastri, K. N. (1972). The Pandyan Kingdom 

    参考文献

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    • Sethuraman, N. "Medieval Pandyas, A.D. 1000-1200". N. Sethuraman, 1980. NCID BA34220759.

    関連資料

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    • Gopalakrishnan, S. "Early Pāṇḍyan iconometry". Sharada Pub. House, 2005. ISBN 8188934216, NCID BA76404510.
    • Dayalan, D. and Archaological Survey of India."Cave-temples in the regions of the Pāṇdya, Muttaraiya, Atiyamān̤ and Āy dynasties in Tamil Nadu and Kerala". Architectural survey of temples No. 7., Archaeological Survey of India, 2014. NCID BB2175132X.

    関連項目

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