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自見庄三郎

衆議院[編集]

1983年12月、第37回衆議院議員総選挙に当時の福岡4区から自由民主党公認で立候補し、初当選を果たした。以後7期連続当選を果たす。1987年1992年には、衆議院議事進行係に就任した。渡辺派に所属し、渡辺美智雄の側近として活動。1994年、渡辺が新生党の小沢一郎から渡辺に内閣総理大臣就任の打診があった際には、渡辺を支持する発言をしている。医師出身議員でありながら、衆議院逓信委員長や自由民主党の通信部会長を務めた経験から郵政族の若手リーダーとされた。1997年9月には、第2次橋本改造内閣にて、郵政大臣に就任して初入閣。第2次橋本改造内閣は、橋本政権が進めてきた行政改革がメインテーマとなっていて、中でも郵政事業の民営化が焦点となっていた。そうした難しい局面での入閣となった自見は外務大臣の小渕恵三や北海道・沖縄開発庁長官の鈴木宗男、国土庁長官の亀井久興、谷垣禎一といった他の郵政族議員と連携して郵政民営化に反対のスタンスをとり続ける。一方で閣内には郵政民営化推進の小泉純一郎が厚生大臣として入閣していて、閣内での対立もしばしばあった。しかし、2001年に小泉が自由民主党総裁選挙に立候補すると、山崎派を代表して小泉の推薦人になり、小泉の応援に回る。

2005年7月5日、いわゆる「郵政国会」の衆議院本会議採決で反対票を投じた。第44回衆議院議員総選挙では、この反対票を理由に自由民主党の公認を得られず、無所属で福岡県第10区から出馬した。しかし、同年9月11日、自由民主党が「刺客候補」として送り込んだ西川京子に敗れる。その後、離党勧告処分を受けて、自由民主党を離党した。