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前田 孝興(まえだ たかおき、慶安5年(1652年) - 延宝7年1月10日(1679年2月10日))は、江戸時代前期旗本。小川町前田家の祖。前田利意の三男。初名豊昌。通称は内匠、伊織、采女。
寛文12年(1672年)、将軍徳川家綱に拝謁し、書院番士となり、延宝2年(1674年)に蔵米300石を与えられるが、延宝7年(1679年)28歳で没す。墓所は上野国甘楽郡高尾村(現・富岡市)の長学寺。家督は弟の前田孝教(たかたか)が継いだ。
『寛政重修諸家譜』には、前田利意の四男として、孝興の名前が見える。初名豊嘉。通称、蔵人、織部。貞享4年8月11日、29歳で没するとある。