北海道妹背牛商業高等学校
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北海道妹背牛商業高等学校 | |
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北緯43度41分29秒 東経141度57分25秒 / 北緯43.691444度 東経141.956917度座標: 北緯43度41分29秒 東経141度57分25秒 / 北緯43.691444度 東経141.956917度 | |
過去の名称 | 北海道妹背牛高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 北海道 |
併合学校 | 各種証明書のみ深川西高が承継 |
校訓 | 至誠 |
設立年月日 | 1949年 |
閉校年月日 | 2009年(平成21年)3月31日[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 商業科 |
高校コード | 01212C |
所在地 | 〒079-0501 |
北海道雨竜郡妹背牛町字妹背牛458 | |
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北海道妹背牛商業高等学校(ほっかいどう もせうししょうぎょうこうとうがっこう、Hokkaido Moseushi Commercial High School)は、かつて北海道雨竜郡妹背牛町字妹背牛にあった。道立商業高等学校。
概要
[編集]女子バレーボール部は、1978年(昭和53年)に全国選抜優勝大会で優勝する[2]など北海道内で強豪であった[3][4]が、地域の少子化や過疎化で生徒数が減少し、北海道教育委員会は2007年(平成19年)度以降の生徒募集停止を決定[4]した。
存続を求める署名活動が行われる一方で町立化も検討されたが、生徒数の増加を見込めずに町の財政難から断念[5]し、2009年(平成21年)3月に閉校した[3][1]。
妹背牛町は、閉校後も体育館などを取り壊して野外運動場などを整備する計画[1]を立案して2013年(平成25年)まで校舎などもそのまま残されたが[6]、敷地などを無償で町へ譲渡することは困難として北海道教育委員会は解体の準備を始めた[6]。
女子バレーボール部の実績
[編集]- 全国高等学校バレーボール選抜優勝大会
- 優勝:1回(1978年)
- 全国大会出場回数:12回
- 全道大会出場回数:36回
- 全国高等学校総合体育大会
- 全国大会出場回数:23回
- 全道大会出場回数:36回
- 国民体育大会
- 準優勝:2回(1977年・1979年)
- 全国大会出場回数:10回
沿革
[編集]- 1949年(昭和24年) - 北海道妹背牛高等学校開校
- 1963年(昭和38年) - 道立に移管
- 1969年(昭和44年) - 北海道妹背牛商業高等学校と改称
- 2007年(平成19年) - 生徒募集停止[5]
- 2009年(平成21年) - 閉校[3][1]
著名な卒業生
[編集]いずれも女子バレーボール部出身。全国大会での優勝は前述の通り1度しかないが、吉原の活躍により多くの選手が後に続いた。
脚注
[編集]- ^ a b c d “妹背牛商高の跡地 屋外運動場に整備 校舎、体育館は解体 町方針”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2009年1月15日)
- ^ “第9回全国高校選抜バレー 最終日 妹背牛商が初優勝 あと一歩”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1978年4月3日)
- ^ a b c “そらねっと25 女子バレー全国制覇、地域の学びや… 妹背牛商高 来月閉校 思い出 誇り胸に刻んで 59年の歴史 卒業生4500人余り 2日に式典”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2009年2月14日)
- ^ a b “「バレー名門校なのに」 妹背牛商高募集停止へ 関係者落胆”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年6月16日)
- ^ a b “妹背牛商の募集停止決定 「署名12万人無に…」町民落胆 町立化、年5000万円が壁”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年8月2日)
- ^ a b “旧妹背牛商高 解体へ準備 道教委、8月から実施設計 跡地 町への無償譲渡厳しく”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2013年9月19日)