沖縄県立北部農林高等学校
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沖縄県立北部農林高等学校 | |
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北緯26度35分38.83秒 東経127度57分45.9秒 / 北緯26.5941194度 東経127.962750度座標: 北緯26度35分38.83秒 東経127度57分45.9秒 / 北緯26.5941194度 東経127.962750度 | |
過去の名称 |
国頭郡各間切島組合立農学校 沖縄県立国頭農学校 沖縄県立農学校 沖縄県立農林学校 北部農林高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 沖縄県 |
校訓 | 自主・創造・勤勉 |
設立年月日 | 1946年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
設置学科 |
(全日制) 熱帯農業科 園芸工学科 林業緑地科 生活科学科 食品科学科 (定時制) 農業科 |
学校コード | D147220900029 |
高校コード | 47135G |
所在地 | 〒905-0006 |
沖縄県名護市字宇茂佐13 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
沖縄県立北部農林高等学校(おきなわけんりつ ほくぶのうりんこうとうがっこう)は、沖縄県名護市字宇茂佐にある県立農業高等学校。
学校長
[編集]- 喜屋武 勝
沿革
[編集]→「沖縄県立農林学校」も参照
沖縄県立北部農林高等学校 > 学校要覧 > 沿革概要(R5)より参照
前史
[編集]- 1902年(明治35年)4月13日 - 国頭郡各間切島組合立農学校として開校[1]
- 1911年(明治44年)10月1日 - 沖縄県立国頭農学校に改称
- 1916年(大正5年)3月21日 - 嘉手納に移転。沖縄県立農学校に改称
- 1923年(大正12年)4月1日 - 沖縄県立農林学校に改称
- 1945年(昭和20年)- 沖縄戦により廃校
北部農林高等学校
[編集]- 1946年(昭和21年)1月28日 - 北部農林高等学校として開校。名護農業試験場と併設
- 1949年(昭和24年)2月5日 - 名護市に移転
- 1956年(昭和31年)4月5日 - 定時制課程農業科を新設
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 農産加工科(のち食品製造科に改編)を新設
- 1972年(昭和47年) - 沖縄返還に伴い沖縄県に移管
- 1989年(平成元年)4月1日 - 農業科を廃止し、熱帯農業科および園芸工学科を新設
- 1990年(平成2年)4月1日 - 林業科を林業緑地科に、生活科を生活科学科に、食品製造科を食品科学科に改編。定時制課程に単位制を導入
学科
[編集]全日制
定時制
部活動
[編集]アクセス
[編集]- 名護バスターミナルより徒歩約5分
- 琉球バス交通・沖縄バス 65・本部半島(渡久地)線 北濃前バス停下車。徒歩約1分
著名な出身者
[編集]- 江藤光喜 - プロボクサー
- アフロマニア - バンドグループ
- 比嘉照夫 - 名桜大学国際EM技術研究所々長 教授(EM開発者)、琉球大学名誉教授
- 根路銘国昭 - ウイルス学者。元生物資源利用研究所所長、国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)呼吸器系ウイルス研究室室長、WHOインフルエンザ呼吸器ウイルス協力センター長。北海道大学獣医学部卒。
- 与那嶺幸人 - 今帰仁村長
- 大城勝正 - 伊江村長
- 外間政吉 - オリオンビール元名護工場常勤相談役、YFU沖縄地区代議員議長
エピソード
[編集]- 沖縄在来豚 アグーの遺伝資源としての保存・維持活動、その豚を使ったF1(チャーグー)の作出 (熱帯農業科)
- 2008年には沖縄県高等学校演劇研究大会で最優秀賞を獲得。那覇西高校とともに九州高等学校演劇研究大会に出場し、北部農林高校は優良賞を受賞した(沖縄県の代表枠は2枠で県大会上位2校)。
- レスリング部が、沖縄県高等学校新人体育大会にて団体の部19連覇達成(2008年11月)
脚注
[編集]- ^ 平成30年度学校要覧 (PDF)、p.5。2018年11月25日閲覧。