千曲川橋梁 (しなの鉄道線)
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千曲川橋梁 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 長野県千曲市 - 長野市 |
交差物件 | 千曲川 |
用途 | 鉄道橋 |
路線名 | しなの鉄道線 |
管理者 | しなの鉄道 |
施工者 |
駒井鐵工所・桜田機械工業(下り線) 日本橋梁・日本車輌製造(上り線) |
座標 | 北緯36度33分31.6秒 東経138度8分0.1秒 / 北緯36.558778度 東経138.133361度 |
構造諸元 | |
形式 | トラス橋・桁橋 |
材料 | 鋼 |
全長 |
460 m(上り) 457 m(下り) |
最大支間長 | 68.0 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
千曲川橋梁(ちくまがわきょうりょう)は、長野県千曲市 - 長野市の千曲川に架かるしなの鉄道線の橋長約460 m(メートル)のトラス橋・桁橋。屋代高校前駅 - 篠ノ井駅間に位置する。
概要
[編集]下り線
- 形式 - 鋼単純トラス橋4連+鋼単純鈑桁橋9連
- 橋長 - 457 m
- 径間割 - 4×62.4 m + 8×22.3 m + 19.2 m
- 基礎 - 井筒基礎
- 施工 - 駒井鐵工所[注釈 1]・桜田機械工業[注釈 2]
上り線
- 形式 - 鋼単純下路トラス橋5連+鋼単純鈑桁橋3連
- 橋長 - 460 m
- 径間割 - 68.4 m + 4×62.4 m + 2×45.5 m + 42 m
- 最大支間長 - 68.0 m
- 総鋼重 - 1 241 t
- 施工 - 日本橋梁・日本車輌製造
歴史
[編集]1888年(明治21年)8月15日に官設鉄道として信越本線が開通する。この際単線の千曲川橋梁は錬鉄製のポーナル型下路トラス橋で橋長211.5 mであった。1919年(大正8年)にポニートラス橋3連などからなる新橋が完成し、旧橋は1925年(大正14年)に撤去された[3][4]。
1961年(昭和36年)に再度架替され、現在の下り線となる橋梁が単線で架設され、複線化に伴って1974年(昭和49年)に上り線橋梁が架設された[1]。
1997年(平成9年)10月1日に北陸新幹線の高崎 - 長野間の開業に伴い並行在来線となる信越本線の軽井沢 - 篠ノ井間がしなの鉄道に移管され、しなの鉄道線となった。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “千曲川橋1961-8-1”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年9月20日閲覧。
- ^ “橋梁年鑑 昭和54年版” (PDF). 日本橋梁建設協会. pp. 162, 163. 2021年9月20日閲覧。
- ^ “千曲川橋1888-8-15”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年9月20日閲覧。
- ^ “千曲川橋1919”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年9月20日閲覧。