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南部町 (下関市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 山口県 > 下関市 > 南部町 (下関市)

南部町(なべちょう)は、山口県下関市にある地名。郵便番号は750-0006。当地域の人口は908人(平成27年国勢調査による)。

南部町
秋田商会ビル(予備校左)と下関南部町郵便局(その左)。
南部町の位置(山口県内)
南部町
南部町
北緯33度57分21秒 東経130度56分25秒 / 北緯33.95583度 東経130.94028度 / 33.95583; 130.94028
日本の旗 日本
都道府県 山口県
市町村 下関市
面積
 • 合計 0.171516 km2
人口
(2015年)[2]
 • 合計 908人
 • 密度 5,300人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
750-0006
市外局番 083
ナンバープレート 下関

地理

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下関市の南部に位置する。北は田中町、西は名池町、南は観音崎町あるかぽーと、東は唐戸町に隣接する。

歴史

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地名の由来

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14世紀半ばに築かれた南部城に由来する[3]

沿革

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  • 611年推古天皇19年)琳聖太子が福生寺として霊場を開く[4]。現在の専念寺である。
  • 10世紀後半(正暦年間)菅原神社の社殿が創建される[4]
  • 13世紀半ば 福生寺が時宗に転宗。現在と同名の専念寺となる[4]
  • 1576年天正4年)守直政が酉谷寺を創建[4]
  • 1858年安政5年)大国神社の社殿を創建。のち2回焼失するも度々再建[4]
  • 1890年明治23年)長府にあった浄瑠璃山本尊薬師如来国分寺を移転[4]
  • 1945年昭和20年)専念寺の堂宇が戦災で焼失[4]
  • 1947年(昭和22年)国分寺の堂宇が戦災で焼失[4]
  • 1954年(昭和29年)西南部町、東南部町、唐戸町の一部から南部町を新設[5]
  • 1955年(昭和30年)下関市役所貴船町から新築移転[5]
  • 1956年(昭和31年)昭和29年に編入されていなかった西南部町・東南部町を全域統合[5]
  • 1966年(昭和41年)南部町の一部が名池町となる。同時に関後地村、唐戸町から一部を編入[5]
  • 1975年(昭和50年)下関東郵便局が山の田東町に移転。その後旧舎は下関南部町郵便局となる[5]
  • 1986年(昭和61年)下関商工会議所が田中町から移転し南部町に商工会館を建設[5]

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

町丁 番・番地 小学校 中学校
南部町 全域 下関市立名池小学校 下関市立名陵中学校

施設

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出身・ゆかりのある人物

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脚注

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  1. ^ 人口統計ラボ 山口県下関市南部町”. 2019年10月3日閲覧。
  2. ^ 国勢調査/平成27年国勢調査/小地域集計 - PDF
  3. ^ 下関市教育委員会『下関の地名(増補改訂版)』2001年、32頁頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 下関市市史編集委員会『下関市史・終戦―現在』下関市、1989年、649, 688, 690, 694-695頁頁。 
  5. ^ a b c d e f g h i 角川日本地名大辞典編纂委員会、竹内理三『角川日本地名大辞典 35 山口県』角川春樹、1988年、629頁。 
  6. ^ 下関市立小・中学校の通学区域について(DL元) - PDF(2017年4月1日) 2019年10月3日閲覧。
  7. ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月12日閲覧。
  8. ^ a b 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 山口県63頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月12日閲覧。
  9. ^ 『日本現今人名辞典』あ36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月23日閲覧。

参考文献

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  • 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第35版附録』交詢社、1931年。