古田重定
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(古田勘阿弥から転送)
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 慶長3年8月19日 |
別名 | 勘阿弥 |
官位 | 従五位下 主膳正 |
主君 | 織田信長→豊臣秀吉 |
氏族 | 古田氏、桑原氏 |
父母 |
父:古田総兵衛(民部) 母:不詳 |
兄弟 | 古田重安、重定、重俊 |
妻 | 不詳 |
子 | 重然、女、女 |
古田 重定(ふるた しげさだ)は、室町時代末期から安土桃山時代にかけての同朋衆、武将。古田織部(重然)の父。還俗前は勘阿弥。
生涯
[編集]古田氏は、美濃国の国人で、土岐氏、斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉に仕えた。
重定は、勘阿弥と号した土岐氏の同朋衆であった。桑原氏に養子に入ったという。信長が本能寺の変で横死すると、羽柴秀吉に仕え、還俗して主膳正重定と称し、3千石の武士に取り立てられた。
子である若き織部に茶の湯の手ほどきをし、後に織部は千利休の高弟となり天下一の茶人となった。
慶長3年(1598年)8月18日に秀吉が伏見城で没すると、重定は翌19日に殉死した。