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吉富町外一市中学校組合立吉富中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉富中学校から転送)
吉富町外一市中学校組合立吉富中学校
地図北緯33度36分33秒 東経131度09分56秒 / 北緯33.60911度 東経131.16547度 / 33.60911; 131.16547座標: 北緯33度36分33秒 東経131度09分56秒 / 北緯33.60911度 東経131.16547度 / 33.60911; 131.16547
過去の名称 吉富町三毛門村組合立 吉富中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 吉富町豊前市
設立年月日 1947年昭和22年)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C140264200014 ウィキデータを編集
所在地 871-0831
福岡県築上郡吉富町大字直江612番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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吉富町外一市中学校組合立吉富中学校(よしとみちょうほか いっしちゅうがっこうくみあいりつ よしとみちゅうがっこう)は、福岡県築上郡吉富町にある公立中学校

吉富町及び豊前市を構成団体とする組合によって運営されている。

概要

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歴史
1947年昭和22年)の学制改革により、新制中学校として創立。当初は吉富町と三毛門村の組合による運営であった。現校名になったのは1955年(昭和30年)。2022年令和4年)には創立75周年を迎えた。
校歌
1948年(昭和23年)に制定。作詞は吉本弘(中津神社宮司)、作曲は森完二(中津扇城女学校教諭)による。歌詞は3番まであり、1番と3番の歌詞中に校名の「吉富の中学校」が登場する。
通学区域

沿革

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  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校「吉富町三毛門村組合立 吉富中学校」が創立。
    • 4月16日 - 吉富町立吉富小学校にて開校式・入学式を挙行。生徒361名・職員8名でのスタートであった。独立校舎が完成するまでの間、吉富町立吉富小学校および三毛門村立三毛門小学校にて分散授業を実施。
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月31日 - 青年学校が廃止される。
    • 10月 - 新校舎(第一期工事)が完成。生徒の半数を収容。
    • 10月15日 - 校歌を制定。
  • 1949年(昭和24年)11月 - 新校舎(第二期工事)が完成。全ての生徒を収容。分散授業を終了。
  • 1950年(昭和25年)11月 - 運動場が完成。運動場開きの際には、双葉山一行を迎え、大相撲が行われた。
  • 1953年(昭和28年)4月 - 新校舎(第三期工事、特別教室等)が完成。
  • 1955年(昭和30年)
    • 4月10日 - 三毛門村が宇島市に合併したため、「吉富町外一市中学校組合立 吉富中学校」(現校名)に改称。
    • 4月14日 - 宇島市が発足わずか4日で豊前市に改称。
  • 1956年(昭和31年)3月 - 講堂が完成。
  • 1960年(昭和35年)2月 - 学校給食を開始。
  • 1962年(昭和37年)10月 - 運動場を拡張。
  • 1972年(昭和47年)10月 - 気象観測施設を設置。
  • 1974年(昭和49年)[1]8月 - 新校舎が完成。
  • 1975年(昭和50年)12月 - 玄関前ロータリーが完成。
  • 1977年(昭和52年)2月 - 校門が完成。
  • 1978年(昭和53年)12月 - 柔剣道場が完成。
  • 1980年(昭和55年)9月 - 運動場を拡張。
  • 1982年(昭和57年)
    • 3月 - 体育館が完成。
    • 9月 - 運動場にナイター施設が完成。
  • 1988年(昭和63年)
    • 2月 - 新柔剣道場が完成。
    • 12月 - プールが完成。
  • 1991年平成3年)3月 - パソコンを導入。
  • 2010年(平成22年)8月 - 校舎耐震補強改修工事を完了。

部活動

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運動部
文化部

主な出身者

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交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りの幹線道路

周辺

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  • 佐井川

脚注

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  1. ^ 1975年(昭和50年)とも。

参考資料

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  • 「吉富町史」(吉富町, 1983年(昭和58年)3月15日発行)p.358-p.370 第六節 新しい教育の歩み
  • 吉富町のあゆみ - 吉富町ウェブサイト

関連事項

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外部リンク

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