コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

一向寺 (古河市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
向星寺から転送)
一向寺
所在地 茨城県古河市長谷町12-10
位置 北緯36度11分17.0秒 東経139度42分00.8秒 / 北緯36.188056度 東経139.700222度 / 36.188056; 139.700222
山号 蓮地山
宗派 時宗
創建年 建治2年(1276年)
開山 一向上人俊性
正式名 蓮池山 無量院 一向寺
文化財 一向寺十九夜塔(市指定・有形民俗文化財)
法人番号 2050005005632 ウィキデータを編集
テンプレートを表示

一向寺(いっこうじ)は、茨城県古河市長谷町にある時宗の寺院。山号を蓮池山、院号を無量院という。[1]

歴史

[編集]

鎌倉時代建治2年(1276年)、一向上人俊性が開山。明治初めに末寺だった向星寺(北新町・現在の本町)、十念寺(鴻巣・現在の古河総合公園)、光福寺(野木町佐川野)が廃寺となり、この寺に合併された。近代の太平洋戦争時に時宗から浄土宗に改宗したが、昭和33年(1958年)に時宗に戻った。[1]

古河公方侍医・田代三喜の木像が安置されている。三喜の死後、門人らが作ったとされ、近郊を巡回し、病気治癒を願う人々に拝まれていたという。背負えるように木像の背には、紐が通せる穴があったされる。高さは75cm。元の像は明治34年(1901年)に焼失したため、現在の像は昭和8年(1933年)復元。[1]

廃寺となった永仙院の過去帳がこの寺に保管されている。永仙院は一向寺の近くにあった古河公方の菩提寺。この過去帳には、「天文十三年甲辰四月十五日 三喜一宗居士」とあり、田代三喜が古河で死去したことを示している。[2]

文化財

[編集]
  • 一向寺十九夜塔 - 船型石塔。如意輪観音坐像が刻まれている。高さ100cm、幅45cm(最大)。銘文「為念仏供養菩提也 元禄八乙亥天十月十八日 施主古河原町同行廿人敬白 導師伝阿弥」より、元禄8年(1695年)の造立と考えられる。十九夜塔月待の講の一つである十九夜講の人々が造立したもので、男性の庚申信仰庚申塔に対して、女性の十九夜観音信仰・十九夜塔として比較される。古河市指定文化財(有形民俗文化財)。[3]

交通

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 『古河市史 民俗編』 830頁(一向寺)
  2. ^ 『古河市史 通史編』 201-202頁(田代三喜)
  3. ^ 『古河市の文化財』 65頁
  4. ^ 駅西口前「花桃館」(まちなか再生市民ひろば)にて・古河市公式ホームページ 観光・歴史 古河市の観光パンフレットより

参考文献

[編集]
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、昭和63年(1988年)
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 民俗編』 古河市、昭和58年(1983年)
  • 古河市文化財保護審議会 編 『古河市の文化財』 古河市、平成5年(1993年)