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和歌山県立耐久高等学校

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和歌山県立耐久高等学校
地図北緯34度2分8.97秒 東経135度11分0.42秒 / 北緯34.0358250度 東経135.1834500度 / 34.0358250; 135.1834500座標: 北緯34度2分8.97秒 東経135度11分0.42秒 / 北緯34.0358250度 東経135.1834500度 / 34.0358250; 135.1834500
過去の名称 耐久社
耐久舎
耐久学舎
耐久中学校
和歌山県立耐久中学校
郡立高等女学校
和歌山県立有田高等女学校
国公私立の別 私立学校公立学校
設置者 和歌山県の旗 和歌山県
学区 全県一学区
校訓 真・健・美
設立年月日 1852年
創立者 浜口梧陵
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制(定時制は三修制あり)
設置学科 普通科
学期 2学期制
学校コード D130210000180 ウィキデータを編集
高校コード 30123A
所在地 643-0004
和歌山県有田郡湯浅町湯浅1985
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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和歌山県立耐久高等学校(わかやまけんりつ たいきゅうこうとうがっこう)は、和歌山県有田郡湯浅町湯浅に所在する公立高等学校

設置学科

概要

1852年(嘉永5年)に初代駅逓頭(かつての郵政大臣に相当)であり「稲むらの火」の主人公(五兵衛)として知られる濱口梧陵ヤマサ醤油当主)により創設された。創立150年を超える日本有数の歴史[1]を持つ。

和歌山では、旧士族の教育の為に創立された徳義中学が1901年に県に移管された後は、耐久中学校が1920年(大正9年)に県に移管されるまで県内唯一の私立中学として地元の教育に貢献した。明治時代に、和歌山には公立校として徳義中学以外には、和歌山中学、田辺中学、粉河中学、新宮中学の4校があった。1907年(明治40年)には、伊藤博文からも信頼があつかったイェール大学ラッドが来校。また、翌年には釈宗演らが来校し、当時の文部大臣小松原英太郎の視察も受け、後に著された「教育論」の中でもその独自の校風などが伝えられている。創立150年周年記念式典には、当時の文部科学大臣遠山敦子が訪問して植樹を行っている。

男女共学校であり、国際交流が盛んである[2]。校訓は「真・健・美」。人格を育て社会に貢献できる実践的な教育に力を入れている。現在も中堅公立進学校として、国公立大学や有名私立大学に一定数の卒業生を送り込んでいる。また、看護学校への進学率が高くなってきている。

なお、同県広川町に存在する広川町立耐久中学校は、新制耐久高校が有田高女の校地だった湯浅町[3]へ統合移転後、その源流である私立耐久中学(旧制和歌山県立耐久中学校)の跡地に設立され、「耐久」の名を継承している。

沿革概略

  • 1852年(嘉永5年) - 耐久舎の前身となる稽古場(耐久社)を創設。
  • 1892年(明治25年) - 耐久学舎と改称、普通教育開始。
  • 1908年(明治41年) - 中学校令により私立耐久中学校と改称。
  • 1919年(大正8年) - 有田郡立高等女学校開校。
  • 1920年(大正9年) - 私立耐久中学校を和歌山県立に移管、和歌山県立耐久中学校と改称。
  • 1922年(大正11年) - 郡立高等女学校を和歌山県立に移管、和歌山県立有田高等女学校と改称
  • 1948年(昭和23年) - 学制改革により耐久中学校、有田高等女学校を併合して和歌山県立耐久高等学校発足(普通科)。
  • 1969年(昭和44年) - 理数科を設置(1977年廃止)。
  • 2000年(平成12年) - グローバル探究科設置(2004年廃止)。

教育課程

  • 1時限65分制(2015年実施)
  • 2期制を採用(1995年実施)
  • 1994年度まで「夏時間」を採用していた。
    • 戦後の一時期GHQの命令で日本全国夏時間を採用していた名残である。
    • 冬時間では午前8時50分頃予鈴のところ、夏時間では午前8時5分予鈴だった。
  • 公立高校には珍しい海外姉妹校があり、留学が可能。姉妹校以外への留学も盛んである。
    • 海外からの留学生受け入れも実施しており、英語に力を入れている。
  • 定期試験
    • 30点未満は欠点とみなされる。

学校生活

  • 男子冬服は詰襟の黒学生服。夏服は白カッターシャツに黒学生ズボンネクタイは不要。
  • 女子冬服は紺のセーラー服に紺のスカーフ、襟には白の3本ライン。夏服は斜めに3本タックの入った白シャツに紺色のネクタイ、紺色のプリーツスカート。この夏服は和歌山県立向陽高等学校の夏服と酷似している。
    • 近隣の広川町立耐久中学校、湯浅町立湯浅中学校、有田川町立吉備中学校と冬服が似ているのは出費のかさむ高校進学時に制服を買い換えずに済ませるためだという説がある[誰によって?]。実際、上記三校からの進学であればスカーフ、ボタンの取替えや校章の付け替えなどすれば制服をそのまま着続けることができる。最近では、着続けることができないため、すべての生徒が制服を買っている。
    • 長期留学生は制服で登校するが1ヶ月程度の短期留学生はこの限りではない。
  • 自宅から学校が遠い生徒は下宿から通学するか、免許と学校の許可を得た上で原動機付自転車を自宅の最寄駅まで利用して通学している。最寄駅からは自転車か鉄道を利用する(学校や学校の最寄である湯浅駅まで原動機付自転車を使えるわけではない)。
  • 体育の授業では夏に水泳を実施しているが、事情により泳げない生徒は持久走を行う。

学校行事

  • ロングハイキング
    • 高野山から有田川町までの30数キロを下山する。バスで高野山まで向かい、宿坊に泊まる。翌日早朝に出発し、1日かけてゴールを目指す。過去には8月だったが現在は秋に実施。通称「ロンハイ」
  • 修学旅行
  • スポーツ祭
    • 通常の体育祭と球技大会を1つに収めた行事で、連続して2日間行う。
  • 文化祭
    • 9月に実施され、頭髪等の指導が厳しく、また舞台上で有志のダンス発表がある。
  • 縄跳び大会
    • 学年別、クラス対抗で二重跳びの平均回数を競い合い、個人成績も表彰される。また、立候補制だが三重跳びの個人戦も行う。
  • マラソン大会
    • 男子は10km、女子は6.2kmを50分以内に完走しなければ後日再マラソンとなってしまう。3年時は受験優先のため不参加である。

クラブ活動

姉妹校

著名な出身者

交通

最寄り駅はJR紀勢本線湯浅駅である。徒歩8分程度。

脚注

  1. ^ 他に国内には、山形県立米沢興譲館高等学校1618年創立、2016年で398周年)、岡山県立岡山朝日高等学校1666年創立、2016年で350周年)や長崎県立大村高等学校1670年創立、2016年で346周年)など、前身を江戸時代前期に旧藩が設立した藩校に由来するとし、そこから遡って算出すると創立340年超の公立高校が3校ある。
  2. ^ 前身の私立耐久中学時代には、韓国等海外からの留学生や、日本全国から生徒が集まっていた
  3. ^ 耐久高校同窓会報40号
  4. ^ 創部119年で初の甲子園、その名は「耐久」…エースの冷水「ドキドキしながら待っていた」”. 読売新聞オンライン (2024年1月26日). 2024年1月26日閲覧。
  5. ^ 中央学院 耐久と初戦 主将「堅守・走塁生かす」創部119年 初出場 耐久『読売新聞』2024年3月9日付朝刊、房総13版、第32面。
  6. ^ 中央学院 耐久と初戦 主将「堅守・走塁生かす」創部119年 初出場 耐久『読売新聞』2024年3月9日付朝刊、房総13版、第32面。

関連項目

外部リンク