心城院 (文京区)
心城院 | |
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所在地 | 東京都文京区湯島3-32-4 |
位置 | 北緯35度42分27.4秒 東経139度46分07.4秒 / 北緯35.707611度 東経139.768722度座標: 北緯35度42分27.4秒 東経139度46分07.4秒 / 北緯35.707611度 東経139.768722度 |
山号 |
(現在公称せず) 北野山(喜見院の山号) |
院号 | 心城院 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 大聖歓喜天 |
創建年 | 元禄7年(1694年) |
開山 | 宥海 |
正式名 | 心城院 |
別称 | 柳井堂、湯島聖天、亀の子寺 |
札所等 | 江戸三十三観音札所 第7番 |
公式サイト | 湯島聖天 天台宗【心城院】江戸三十三観音第七番札所 |
法人番号 | 1010005000381 |
心城院(しんじょういん)は、東京都文京区湯島に所在する天台宗の寺院。大聖歓喜天を本尊とすることから、「湯島聖天」とも称されている。大聖歓喜天以外にも、十一面観音菩薩、宝珠弁財天、出世大黒天等も奉安され、「江戸三十三観音札所第七番札所」に選定されている。
概要
[編集]1694年(元禄7年)、宥海によって開山された。宥海は、湯島神社(現湯島天満宮)の別当寺だった「北野山梅園寺喜見院」の第三世・大僧都で、菅原道真と縁が深い大聖歓喜天を安置する小堂「宝珠弁財天堂」を創建したのが起源である[1]。本尊の大聖歓喜天の像は、比叡山から勧請した慈覚大師円仁の作と伝えられている。
享保期には寺門維持のため幕府から「富くじ」が発行され、谷中感応寺(現・天王寺)、瀧泉寺(目黒不動)とともに「江戸の三富」と称され、庶民に親しまれて賑わった。
明治維新時の神仏分離(廃仏毀釈)政策により、「喜見院」は廃寺となり、湯島神社との関係も断ち切られた。「宝珠弁財天堂」を「心城院」と改称し、建立当時の因縁により天台宗に属し、再出発することになった[2]。
境内には、湧水「柳の井」があることから、別名「柳井堂」(りゅうせいどう)ともいう[2]。また、元禄期より縁起が良いとされる亀を放し、現在も「亀の子寺」として親しまれいる。
開基以来何度も発生した江戸の大火のみならず、関東大震災、東京大空襲の戦火にも遭うことなく、法灯を伝えてきたが、本堂や庫裏の老朽化が甚だしくなったため、近年改修された。
心城院を出て右へ進めば、湯島天満宮の境内へ通じる男坂がある。
行事
[編集]毎月1日と16日は縁日(「聖天さま」浴油祈祷厳修、一般非公開)。1月、5月、9月の16日には大般若転読法要が行われる。
交通アクセス
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 江幡潤 著『文京区史跡散歩 (東京史跡ガイド5)』学生社、1992年