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四条隆英

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
四條隆英から転送)
四条しじょう 隆英たかふさ
四條 隆󠄁英
生年月日 1876年2月26日
出生地 日本の旗 日本 京都府京都
没年月日 (1936-01-02) 1936年1月2日(59歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学政治学科卒業
前職 帝国製麻社長
所属政党 公正会
称号 正三位
配偶者 四条駒子
親族 養父・四条隆平(貴族院議員)
兄・二条正麿(貴族院議員)

在任期間 1932年5月28日 - 1936年1月2日
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四条 隆英(しじょう たかふさ、旧字体四條 隆󠄁英1876年明治9年)2月26日 - 1936年昭和11年)1月2日[1])は、日本の商工官僚政治家実業家華族農商務次官、初代商工次官、貴族院男爵議員。旧名・二条支英[1][2]

経歴

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京都府京都[3]、華族・二条斉敬の四男[注 1]として生まれ、男爵四条隆平の養子となる[1][4]。養父の死去に伴い家督を相続し、1911年8月1日に男爵を襲爵した[5]

第二高等学校を経て、1904年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[4]。同年7月、農商務省に入省し山林局書記に任官[4]。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格[4][6]

以後、山林局監督官、山林事務官兼農商務書記官、山林局庶務課長、鉱山監督署事務官・東京鉱山監督署、農商務書記官・鉱山局鉱政課長、農商務大臣秘書官大臣官房秘書課長、商工局工務課長、臨時博覧会事務局出品課長、工務局長兼臨時産業調査局第三部長、農商務次官、商工次官などを歴任[4][7]

1929年4月に依願免本官となり退官し[4]高橋是清の推薦[8]安田保善社理事となり、安田生命保険社長、帝国製麻社長などを務めた[4][7]

1932年5月28日、貴族院議員補欠選挙で男爵議員に選出され[2][9]公正会に所属し死去するまで在任した[7]。その他、鉄道会議議員、航空評議会評議員、保善商工教育財団理事長、日本工業倶楽部理事、らい予防協会理事などを務めた[7]

栄典

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親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ または六男[1]

出典

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  1. ^ a b c d e 霞会館 1996, p. 713.
  2. ^ a b 「故男爵四条隆英叙勲ノ件」
  3. ^ 神谷久覚 2012, p. 152.
  4. ^ a b c d e f g 秦郁彦 2002, p. 257.
  5. ^ 『官報』第8434号、明治44年8月2日。
  6. ^ 秦郁彦 2001, p. 185.
  7. ^ a b c d 衆議院 & 参議院 1990, p. 73.
  8. ^ 神谷久覚 2012, p. 150.
  9. ^ 『官報』第1622号、昭和7年5月30日。
  10. ^ 『官報』第106号「叙任及辞令」1927年5月10日。
  11. ^ 『官報』第771号「叙任及辞令」1929年07月25日。

参考文献

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  • 内閣・昭和11年「故男爵四条隆英叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113162600 
  • 衆議院; 参議院 編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。 
  • 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《上巻》吉川弘文館、1996年。 
  • 秦郁彦 編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。 
  • 秦郁彦 編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。 
  • 神谷久覚「四條隆英試論」『四條男爵家の維新と近代』、同成社、2012年。  - 尚友倶楽部・華族史料研究会編
日本の爵位
先代
四条隆平
男爵
四条家(分家)第2代
1911年 - 1936年
次代
四条隆秀
学職
先代
結城豊太郎
保善商工教育財団理事長
1929年 - 1936年
次代
森広蔵
ビジネス
先代
安田善五郎
安田生命保険社長
1930年 - 1936年
次代
安田善次郎
先代
安田善助
帝国製麻社長
1930年 - 1936年
次代
安田善次郎