大垣市立静里小学校
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大垣市立静里小学校 | |
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北緯35度21分36秒 東経136度35分20秒 / 北緯35.35998度 東経136.58896度座標: 北緯35度21分36秒 東経136度35分20秒 / 北緯35.35998度 東経136.58896度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大垣市 |
設立年月日 | 1910年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121220200093 |
所在地 | 〒503-0982 |
岐阜県大垣市久徳町423 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大垣市立静里小学校(おおがきしりつ しずさとしょうがっこう)は、岐阜県大垣市にある市立小学校。
概要
[編集]- 大垣市立静里幼稚園を併設する。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)6月 -
- 1880年(明治13年) -
- 講習義校が講習学校に改称する。
- 桧村義校が福田村の由生学校に統合される。
- 1886年(明治19年) - 長松村、荒川村、中曽根村、島村、十六村、綾戸村、矢道村、榎戸村で学校組合を設置し、長松尋常高等小学校[注釈 2]が開校する。
- 1889年(明治22年)以前 - 講習学校が廃校となる[注釈 3]。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 静里村、荒川村、久徳村、中曽根村、桧村が合併し、静里村が発足。静里・久徳は大垣町の久瀬川尋常小学校、荒川・中曽根・笠毛は荒崎村の長松尋常高等小学校、桧は宇留生村の宇留生尋常小学校へ委託する。
- 1910年(明治43年)4月 - 静里村に静里尋常小学校が開校。静里村小笠毛に仮校舎が完成し、荒崎村と宇留生村への児童委託を解除。荒川・中曽根・笠毛・桧の児童が通学する。
- 1912年(明治45年)4月 - 久徳の児童が久瀬川尋常小学校から静里尋常小学校に転入する。
- 1916年(大正5年)4月 - 現在地に校舎が完成。大垣町への児童委託を解除し、静里の児童が久瀬川尋常小学校から静里尋常小学校に転入し、静里村の児童が全て静里尋常小学校に通学となる。
- 1917年(大正6年) - 静里尋常高等小学校に改称する。
- 1940年(昭和15年)2月11日 - 静里村が大垣市に編入される。
- 1941年(昭和16年) - 静里国民学校に改称する。
- 1945年(昭和20年)7月29日 - 大垣空襲により校舎が全焼。大垣西国民学校の校舎の一部、及び数箇所の寺院で分散授業。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 大垣市立静里小学校に改称する。
- 1948年(昭和23年)4月 -
- 校舎を新築する。
- 大垣市立静里幼稚園が開園する。静里小学校に併設する。
- 1971年(昭和46年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
- 1975年(昭和50年) - 校舎を増築。
通学区域
[編集]進学先中学校
[編集]大垣市立静里幼稚園
[編集]- 1948年(昭和23年)開園。
- 4、5歳児を対象とする幼稚園。定員は4歳児が30名、5歳児が35名。
- 園舎は静里小学校の校舎の一部を使用している。
- 通園区域は、5歳児は静里小学校の通学区域と同じであるが、4歳児は通園区域の指定はされていない[2]。
参考文献
[編集]- 新修大垣市史 通史編二(大垣市、1968年)P.429 - 473、723 - 735
- 私たちのまち荒川(荒川町自治会、1992年)