コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大島多蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大島 多蔵(多藏[1]、おおしま たぞう、1903年明治36年〉1月22日[2] - 1978年昭和53年〉[3]5月20日[2])は、昭和期の教育者、政治家衆議院議員(2期)。

経歴

[編集]

佐賀県[3]杵島郡、のちの江北村[2](現江北町[2])で、大島喜一の二男として生まれる[4]。1929年(昭和4年)九州帝国大学法文学部法律科を卒業した[2][3]

佐賀県立鹿島中学校[注 1]教諭、宮崎県立都城中学校[注 2]教諭、熊本県中學済々黌[注 3]教諭、佐賀県立佐賀商船学校[注 4]教諭、同武雄中学校[注 5]教諭、同唐津中学校[注 6]教諭、長崎県立諫早中学校[注 7]教諭、同対馬中学校[注 8]教諭などを務めた[3]

1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で佐賀県全県区に無所属で出馬して当選し[5]、1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙佐賀県全県区国民協同党公認で出馬して再選され[6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3]。この間、国民党青年部副部長、国民協同党中央委員、同文教部長兼宗教部長、衆議院司法委員会委員、裁判官訴追委員会委員などを務めた[3][4]。その後、第24回総選挙に立候補したが落選した[7]

1978年(昭和53年)5月20日死去、75歳。死没日をもって勲四等旭日小綬章追贈、従六位から従五位に叙される[1]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b 『官報』第15425号8-9頁 昭和53年6月16日号
  2. ^ a b c d e f 『佐賀県大百科事典』87頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』128頁。
  4. ^ a b 『人事興信録 第15版 上』オ30頁。
  5. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1593頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』551頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』361頁。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
  • 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。