大村桂巌
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大村 桂巌 | |
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誕生 |
大村 里磨 1880年2月10日 日本滋賀県愛知郡葉枝見村三ツ谷村(現・滋賀県彦根市) |
死没 |
1954年10月2日(74歳没) 日本 東京都 新宿区 |
職業 | 教育学者、僧侶 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 東京帝国大学 |
代表作 |
『教育学汎論』(1922年) 『宗教教育概論』(1930年) |
大村 桂巌(おおむら けいがん、1880年(明治13年)2月10日 - 1954年(昭和29年)10月2日)は日本の教育者、浄土宗の僧侶。大日本帝国の陸軍士官学校の教授、芝中学校・高等学校の第5代校長、大正大学の第11代学長などを務めた[1]。
生涯
[編集]1880年(明治13年)2月10日、滋賀県愛知郡葉枝見村三ツ谷(現在の滋賀県彦根市)常光寺住職の父・哲誉上人、母・琴鶴の長男として生まれる[2]。幼名は里磨[2]。 里磨は得度となし、桂巌と改名し、浄士宗の中学及び大学を卒業したのち、内地留学生に特選され東京都へ移り明治43年に東京帝国大学哲学科教育学を卒業[3]。 その後、陸軍士官学校の教授、芝中学校・高等学校の第5代校長、大正大学の第11代学長などを務めた[4]。 陸軍士官学校では永年の勤務の功により高等官三等に序せられ、教え子には三笠宮崇仁親王がいる[5]。1954年(昭和29年)10月2日、東京都新宿区で死没。享年74歳。墓は東京都杉並区の東運寺にある[4]。
経歴
[編集]- 1910年:東京帝国大学哲学科教育学を卒業。
- 1911年:浄土宗第五教区宗学校長、尼衆学校長、浄土宗専門学校講師を兼任。
- 1912年:東山小学校長。
- 1916年:淑徳高女教頭、千代田女子専門学校講師を兼任。
- 1925年:宗教大教授、陸軍教授に補せられ陸軍士官学校附となる。
- 1926年:翌年宗教大が大正大学と改称し同大教授に就任。
- 1931年:三井清泉学寮幹事長に就任。
- 1937年:陸軍教授を退任して芝中学校の第5代校長に就任。
- 1942年:大正大学文学部長に就任。
- 1948年:第11代大正大学長に就任。
- 1949年:大正大学名誉教授に就任。
- 1951年:宝仙学園短期大学教授に就任。
註
[編集]学職 | ||
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先代 椎尾弁匡 |
大正大学学長 1948年 - 1949年 |
次代 塩入亮忠 |
その他の役職 | ||
先代 藤田寛随 |
芝中学校長 1937年 - 1942年 |
次代 中島真孝 |
先代 私立第五教区宗学教校長 小林瑞浄 |
私立東山中学校長 1912年 - 1916年 私立第五教区宗学教校長 1911年 - 1912年 |
次代 六花真哉 |