大石良尚
表示
大石 良尚(おおいし よしなお、享保20年(1735年) - 寛政9年12月9日(1798年1月25日))は、江戸時代中期の安芸国広島藩の上士。赤穂藩浅野家家老・大石良雄の曾孫婿(血統では良雄の義弟の曾孫)。
生涯
[編集]広島藩士小山良至の五男として生まれる。大石氏は藤原北家秀郷流小山氏の支族である。
良雄の三男で大石家を継いだ良恭(大三郎)の女婿となり、明和5年(1768年)に良恭の後を継いで大石家の家督を相続したが、知行高1200石に減じられ平上士の扱いとなる[1]。良恭には妾腹とはいえ2人の直系の男子がいたが、家督を継げず養子を迎えた理由は不明である[2]。
後継者となった男子(良完[3])とその嫡男・良継が相次いで先立ち、嗣子がないため隠居できず、寛政9年(1797年)病んで大石家を去り、実家の小山家に帰って没した。嫡流の絶えた大石家は一旦断絶となったが、横田氏が大石姓を名乗り別家を再興した(横田流大石家)[4]。
菩提寺
[編集]広島の鳳来山国泰寺に葬られた。 昭和20年(1945年)8月6日の原爆投下で墓は全焼全壊した。江戸での菩提寺・泉岳寺には義父・大三郎と良尚・良完・良継の大石家(小山流)歴代の墓がある[5]。
|
|
|