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大谷崩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大谷嶺から転送)
安倍川上流の大谷崩
大谷崩の位置(静岡県内)
大谷崩
大谷崩の位置
近景

大谷崩(おおやくずれ)は、静岡市葵区の大谷嶺(おおやれい)の南斜面にある、1707年(宝永4年)の宝永地震によってできた山体崩壊である[1]

1858年富山県で起きた鳶山崩れ1911年長野県で起きた稗田山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされる[2]

概要

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大谷嶺は標高1999.7m[1]安倍川(あべかわ)の水源のひとつである。大谷崩の位置に崩壊地があったことは1530年(享禄3年)の文献にはすでに書かれている[1]。「大谷崩」の名称の文献上の初出は、1709年(宝永6年)4月に記された「駿河国安倍郡梅ヶ島村差出シ(村差出明細帳)」に「大谷崩という崩壊地があり、さらに下流には長さ1、横幅10の池がある」[3]と記されている。

崩壊で発生した土砂は1億2000万m3と推定され[1]、これが三河内川を堰止めて大池を生じ、明治初頭まで存在していた[1]。また下流に滝もつくりだしており、この滝は土砂のために真っ赤な水を流し続けたことから、「赤水の滝」(北緯35度16分27.3秒 東経138度19分39.7秒 / 北緯35.274250度 東経138.327694度 / 35.274250; 138.327694 (赤水の滝))と呼ばれている。

現在でも大雨の後には多量の土砂崩落が見られる。山体崩壊の迫力のある形状とともに、春の新緑、秋の紅葉、冬の雪化粧などの景観にも優れることから、山の麓まで訪れる観光客も見られる。

赤水の滝

登場する作品

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  • 幸田文『崩れ』講談社講談社文庫〉、1994年10月5日。ISBN 978-4061857889 
    幸田が72歳のときに出会った大谷崩の迫力に圧倒されたことから、全国の崩壊地を訪ね歩いたことを綴ったエッセイ。大谷崩のたもとには「崩れ」の文学碑がある。
  • 青木奈緒『動くとき、動くもの』講談社、2002年11月。ISBN 978-4062115230 
    幸田の孫である青木が大谷崩ほか、上記『崩れ』の地を訪れて著したエッセイ。「砂防と治水」139号(平成13年4月号)[4]から148号(平成13年10月号)[5]にかけ連載された。

脚注

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  1. ^ a b c d e 武内達夫、堤博志:大谷崩 砂防学会誌 Vol.38 (1985-1986) No.3 P20-22_2
  2. ^ 〈改訂版〉南アルプス学・概論”. 静岡市. 2019年10月2日閲覧。
  3. ^ 宝永地震による土砂災害事例”. 内閣府:防災情報のページ. 2014年6月19日閲覧。
  4. ^ 第139号 2001.4月号 Vol.34,No.1”. 一般社団法人全国治水砂防協会ホームページ. 2014年6月19日閲覧。
  5. ^ 第148号 2002.10月号 Vol.35,No.4”. 一般社団法人全国治水砂防協会ホームページ. 2014年6月19日閲覧。

関連項目

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全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

外部リンク

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座標: 北緯35度18分30秒 東経138度18分50秒 / 北緯35.30833度 東経138.31389度 / 35.30833; 138.31389