ヘルマン・トーレス
基本情報 | |
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階級 | ライトフライ級 |
国籍 | メキシコ |
誕生日 | 1957年5月28日(67歳) |
出身地 | メキシコグアナフアト州セラヤ |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 80 |
勝ち | 63 |
KO勝ち | 47 |
敗け | 13 |
引き分け | 4 |
ヘルマン・トーレス(Germán Torres、男性、1957年5月28日 - )は、メキシコのプロボクサー。元WBC世界ライトフライ級王者。
日本人女性と結婚し、妻方の姓から大関トーレスを名乗った。長男利幸、二男健文(トーレス・マルティネス・健文)ともにプロボクサーとなった。アルマンド・トーレス(大関一郎)は甥。
来歴
[編集]1975年8月27日、プロデビュー。
1979年11月24日、初代メキシコライトフライ級王座を獲得。以後、3度防衛した。
1981年8月16日、WBC世界ライトフライ級王者イラリオ・サパタ( パナマ)に挑戦し、0-3の大差判定負けで王座獲得ならず。
1981年10月31日、メキシコライトフライ級王座4度目の防衛戦でアマド・ウルスア( メキシコ)と対戦し、判定負けで王座から陥落した。
1982年3月27日、メキシコライトフライ級王座決定戦でフランシスコ・モンティエル( メキシコ)と対戦し、5回KO勝ちで王座に返り咲いた。
1982年6月7日より活動拠点を日本に移し、協栄ジムと契約、リングネームを協栄トーレスとし、日本人を初めとするアジア人と多く対戦した。
1983年9月10日、韓国で行われたWBCライトフライ級王座決定戦で張正九( 韓国)と対戦し、10回に2度ダウンを奪われるなどして0-3の判定負けで王座獲得ならず。
1985年4月27日、リングネームを大関トーレスと改め、韓国で王者張正九と再戦し、0-2(114-114、114-115、114-116)の僅差判定負けで王座獲得ならず。
1986年4月13日、韓国で王者張正九と再々戦し、0-3の判定負けで王座獲得ならず。
1988年12月11日、韓国で行われたWBC世界ライトフライ級王座決定戦で姜順中( 韓国)と対戦し、3-0の判定勝ち。5度目の挑戦にして世界王座を獲得した。
1989年3月19日、韓国で行われた初防衛戦で挑戦者李烈雨( 韓国)と対戦し、9回TKO負けで王座から陥落した。
1991年6月21日、メキシコで行われた試合を最後に3年のブランクを作った。
1994年6月10日、兵庫県姫路市で地元のホープで姫路木下ボクシングジム創始者子息大場貴志との試合で10回判定負けした試合を最後に引退した。
井岡弘樹のトレーナーとして来日し、グリーンツダジムに所属。その後も、日本のジム(オールボクシングジム、大鵬ジム)でトレーナーとして活動。
獲得タイトル
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]空位 前タイトル保持者 張正九 |
WBC世界ライトフライ級王者 1988年12月11日 - 1989年3月19日 |
次王者 李烈雨 |